脳で味わう“美味しい!”を考えよう-価値は部分ではなく全体にある [コラムvol.9]

2007.11.16

観光文化事業部 久保田美穂子

要旨

 旅行の動機や目的として、食事への興味・関心は非常に高くなっています。豪華さやこだわり。地産地消、特産品開発など、確かに個々には様々な工夫がこらされてきました。しかし「旅の食事」をもっと印象深いものにするためには、味覚だけでなく脳が喜び脳が楽しむような仕掛けが必要です。

印象深いこんな夕食

 私の研究テーマは温泉地と旅館です。取材のため旅館で食事をする機会が多いのですが、「それなりに豪華だった」というイメージはあるものの何を食べたか記憶に残らないことが少なくありません。毎日食べるのだから食事とはそんなもの、といってしまえばそれまでですが、旅という非日常の状況での食事だけにどうも物足りなさを感じます。
 ところが最近、続けて印象に残る食事シーンに恵まれました。
 山形県天童温泉の「ほほえみの宿 滝の湯」は、地元に愛される比較的大型の旅館です(99室)。特徴的なのは、社長が20年前から有機農業に取り組んでおり、土づくりからこだわった有機野菜を栽培、料理の食材に利用していることです。夕食のメインは山形牛やアワビと華やかですが、そこへ「玉葱の丸煮」が出てきてとても驚かされました。自前の畑で栽培した有機玉葱を、雉のスープで2日間煮込んだものとのこと。白く丸くやわらかいかたちとスープのしみこんだ甘さのなかに、社長の志やそれを引き受けた調理の方々の、自然への想いや年月を感じました。健康志向の高まりもあって、野菜料理は都会の一流レストランでも真剣に取り組まれています。時代を先取りした感度の良さをも同時に味わいました。
 次は、青森の古牧グランドホテルの「祭り屋レストラン」でのユニークな食のチャレンジです。古牧温泉は2004年に経営破綻し、現在は(株)星野リゾートが運営しています。330室という大型旅館の再生にあたり、宿のコンセプトを徹底的に考え直した結果が青森文化体感「のれそれ青森」でした。“のれそれ”とは津軽弁で「とことん、めいっぱい」という意味です。青森3大祭り(青森ねぶた、弘前ねぷた、八戸三社大祭)の山車を展示したホールで、ほたてや地魚など地元食材の5段せいろ蒸しをいただきながら、社員による青森弁でのパフォーマンスやサービスを楽しみます。元気な店長とスタッフにのせられて最後には全員が踊ってしまうという仕掛けもあり、青森文化を観て、食べて、踊るという楽しい2時間が演出されていました。

脳で味わう「美味しい!」を考えよう

 当財団の調査によれば、確かに旅行の目的や動機として「グルメ」志向は非常に根強いことがわかります(『旅行者動向2007』)。その土地のものを食べられるなら割高でもいい、という調査結果もあるほどです。
 このように旅行の食への関心が高まっている中、地域のサイドでも地域の経済効果を意識した地産池消への取り組みも進んできました。しかし、地元の食材が使われていても記憶に残らない食事と、思わず誰かに話したくなるような食事の違いがある、その違いはどこから来るのでしょうか。
 そこで思いだしたのが、新国立美術館で見て驚いたモネの絵と技法の話です。クロードモネ(1840-1926)は、「印象派」の代表的な画家で、「睡蓮」の連作が有名です。この夏、その本物を見て「光の画家」「眼の画家」といわれるゆえんを体感しました。近くでみると様々な色彩の筆跡の集まりにしか見えないのに、少し離れてみると美しい風景が見えるのです。
 19世紀当時、色彩とは描く対象自体が持つ色すなわち対象物の「固有色」だと考えられており、その固有色に明暗を与えて三次元の立体感を表現していました。戸外で絵画制作した印象派たちは光によって色彩が変わることを発見し、新しい表現技術に挑みます。絵の具を混ぜると色の明るさが損なわれるので、混ぜたい色を画面上に小さな筆触単位で並べ、少し離れて見ると眼の中で混ざり合って、色の明るさが保たれること(「視覚混合」という)を応用したのです。眼でなく脳が見る絵を描いたといった感じでしょうか。風景を描いたのではなく風景がもたらす感覚を描いたことから「印象主義」といわれたとのことですが、画家自身の制作体感そのものである絵の具、筆の跡を残して見せるという行為も、身体的な刻印を見る人の内面へ押し付ける(im-pression)という力強い意味があるそうです。

食“品”でなく食“事”へ

 最近の脳科学ブームで脳に関する注目が集まっています。人間の脳は素晴らしく複雑でありながら、同時に簡単に騙されるような愛おしい働きもするようです。「美味しい!」もモネの絵のように脳で感じるようなものではないかと思うのです。「美味しい!」は、単に料理の旨み成分の多寡ではなく、よく吟味、工夫された、想いの込められた多彩な点がたくさん集まってかたちづくられた瞬間なのです。食材、料理方法、お品書き、仲居さんやウェイターとの会話、一緒に食べる相手、空間のしつらえ、時間の配分。また、その食事に至るまでに体感したその日のストーリー、作り手や素材にまつわるエピソードや情報などが集まって「美味しい!」になる。
 最初に紹介した2つの夕食には確かにその土地の食材が出てきますが、料理だけがつくった記憶ではありません。地場産品を使えばいいというわけではなく、どうしたら楽しく面白く食べられるのか、もっと驚かせたり、ストーリーの中へ脳を引き込むのです。
 舌や目だけでなく脳で味わう食事へ、「固有色」から「印象主義」的表現への展開です。
 やはり食事とは、モノではなくてコトなのですから。

参考資料:『モネ』(六人部昭典著、六曜社)

自家農園 有機野菜 玉葱丸煮
「ほほえみの宿滝の湯」
山口社長の自家農園
同旅館夕食時のセルフサービスコーナーに並ぶ有機野菜 「自家農園産無農薬栽培
玉葱丸煮 雉スープにて」
(お品書きより)
社員の踊り はねる宿泊客
社員が踊りのパフォーマンス
(「古牧グランドホテル 祭り屋レストラン」)
誘われて、ねぶたの衣装を借りて楽しそうに
“はねる”宿泊客(同左)

 

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