なぜこんなにナーバス?日本人海外旅行マーケット [コラムvol.10]

2007.11.26

観光文化事業部 黒須宏志

要旨

 昨今、食品や工業製品の安全の問題に呼応するかのように中国への旅行者数が減少しはじめていますが、なぜ、わが国の旅行マーケットはこうしたナーバスな反応をするのでしょうか。その根底には社会全体のリスクに対する硬直的な態度が隠されているように感じます。

本文

 中国語には「リスク」を意味する字が二つあるそうです。ひとつはおなじみの危険の「危」、しかしもうひとつの字は機会の「機」なのだそうです。この話は「リスク」というものの二面性を結構うまく言い表しているのではないかと思います。人間誰しも何らかのリスクを抱えていますが、それは「生きているからこそ」。心配の種が尽きないのは明日に期待するものがあるからというわけです。
 しかし今、日本では、リスクのネガティブな面だけが人々の心に大きく写っているように、私には思えてなりません。そのひとつの要因は、ひょっとすると、人々が盤石と思ってきた社会システムや企業の信頼が、この10年ほどの間に、いくつも無惨に損なわれてきたことと関係があるのかもしれません。仮にこうした消費者心理が現実のものだとすれば、ツーリズムに携わる我々にとって、これこそ新たな「リスク」だと言わねばならないでしょう。旅行に出かけるということは、少なくとも日常生活よりは多少大きな不確実性、つまりリスク、を許容する気持ちになることに他ならないからです。

 ところで、先日、海外のとある会議で「トラベルリスク」と題した講演を聞く機会がありました。「今世紀に入ってからテロや大規模な自然災害などいろいろな問題がツーリズムに影響を与えているが、結局のところ現在の旅行者が直面するリスクのほとんどは昔からのものとそう変わってはおらず(気候変動に起因するものは別として)、また、そもそもトラベルリスクと呼ばれるものの大半は日常生活の中に存在するリスクと本質的に変わらない」。1時間ほどの講演を無理矢理濃縮するとこんな感じの話でしたが、参加者は政府観光局など日頃からこの問題に頭を悩ませている人達だったこともあり、反応は最高でした。考えてみますと、人生は旅という喩えがありますが、だとすれば旅もまた人生の様々な要素(リスクを含めて)を共有しているというのは当然の話なのかもしれません。しかし、これは話としては面白いのですが、こんな理屈を言ったところで、何かを実際に変えられるわけではありません。世の多くの人がこんな割り切った考え方ができるなら「トラベルリスク」なんて議論は不要になってしまうのですから…

 さて、わが国の旅行マーケットがリスクに対し敏感であることは、9.11やSARSの経験を通じ、広く知れ渡っています。そして今現在進行中の中国への旅行者減もまた、神経質で不機嫌なマーケットの横顔のように、私は感じています。食品や工業製品の安全の問題が、なぜ、ここまで大きな反応に結びついてしまうのでしょうか。私はその背景に日本という社会の「リスク」に対する、ある種硬直的な態度があるのではないかと疑っています。
 話を分かりやすくするためにひとつ交通ルールを例えに考えてみたいと思います。交通ルールは路上の様々なリスクをコントロールするための制度です。例えば高速道路のような場所でのルール遵守はあなた自身の安全を確保するために不可欠だといえるでしょう。こうした場面では皆がルールに従うことでリスク管理が可能になるわけです。しかし同じ道路でも交通量の少ない信号のない交差点などでは個々人の注意力がリスクの管理に重要な役割を果たすことになります。つまりリスクには集団的にルールを設定することでコントロールされる場合と個々人の責任と判断で制御される場合とがあって、普通はその両者が補いあうことで問題が起こらないようになっているというわけです。
 ところが街を歩くと、時折、車など滅多に来そうもない路地に歩行者信号が付いていたりすることがあります。そんな信号が赤だった場合、あなたならどうするでしょうか。「それでも守らなきゃいけないかな~」と小さな罪悪感を覚えることはありませんか。逆に、交通量の多い大きな交差点で青信号の横断歩道を渡るとき「青だから安全」と左右もろくに見ないで渡っていませんか。これらはもともとリスクを回避するために設けられたルールが、私たちの心の中で、本来の目的そのものより重視されるようになった結果ではないかと思います。

 こうしたことはどの国でも多かれ少なかれ起こっていることだろうと思います。ただ、日本のように公的権威に対する信頼感が強い文化の下では、ルールによる集合的・集団的なリスクコントロールが至上のものと考えられやすいことも、事実ではないかと思います。何か事故や事件があると、必ず公的なリスクコントロールの「方法」が適切であったかどうかが問題視されますが、繰り返しこうした報道に接することも、人々の心の中に、集合的・集団的リスクコントロールを至上とする考え方を刷り込む効果があるのではないでしょうか。
 あくまで仮説ですが、こうしたルール至上主義は、一方で、個々人の自主的な判断・行動の能力に対する軽視、つまり、個人が新規のリスクを個人の判断で操作することを「不適切」とする考え方とセットになっているのではないかと思うのです。新規というのは、これまで社会が経験したことのないようなリスクという意味で、9.11やSARSなどがそれに該当します。すると人々はニュースで「SARSが云々」という報道が流れている限りは行動しなくなります。自己判断で動くことは「不適切」なのですから。これがリスクに「敏感」といわれるマーケットの実像なのではないかと考えています。

 

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