「インバウンド富裕層は高級ホテルに泊まる」は本当か?[Vol.423]

 前回のコラムでは、熊野古道が外国人旅行者から評価を得ている要因について、インバウンドのホスト側である宿泊施設に着目して考察しました(なぜ熊野古道は欧米豪の旅行者に評価されるのか?[コラムvol.398])。今回のコラムでは、インバウンドのゲスト側である外国人旅行者に焦点を当て、熊野古道を訪れる旅行者の特徴を整理してみます。

高級ホテルに泊まらないインバウンド富裕層

 JNTO(日本政府観光局)では、旅行者の志向に基づきインバウンド富裕層を2つのセグメントに分類しています。富や権力を重要視する価値観を持っている従来型のClassic Luxury志向と、文化や独自性に重きを置く価値観を持っているModern Luxury志向です【図1】。これまで、インバウンド富裕層の訪日促進や地方部への誘客をめぐっては、5つ星ホテルの不足やVIPサービスの整備といったClassic Luxury志向の旅行者が議論の中心であったように思います。一方、既にModern Luxury志向の旅行者を海外から惹きつけている地域があります。その一つが、熊野古道です。


【図1】インバウンド富裕層における旅行者の志向



1泊3.5万円の高単価ツアーが地域に人を呼び込む

 熊野古道を訪れる外国人旅行者の主な目的は、巡礼路「中辺路」を歩くことです。旅行者は古道沿いに点在する集落に宿泊しながら数日間かけて山道を歩き、熊野本宮大社や熊野那智大社を巡ります。一見すると「ラグジュアリー」のイメージからは程遠いハードな旅程ですが、インバウンド富裕層による高単価消費が起こっています。

 例えば、外国人旅行者向けにウォーキングツアーを販売する特化型旅行会社では、3泊4日で10万円以上する着地型ツアーが造成されており、旅行者から好評を得ています。この熊野古道歩きツアーは、大阪または京都から出発する現地発着型のパッケージツアーとなっており、“self-guided tour”として旅行ガイドの同行は無く、旅行者は鉄道や路線バスを乗り継いで自力で移動していくのが特徴です(※1)。ツアーには熊野古道沿いの集落で営業する民宿での滞在が組み込まれており、旅行消費が地域外資本に還流することなく域内調達率(※2)が高くなっています。また、この旅行会社は旅行者が滞在する集落の一つに、古民家を改装した現地オフィスを設置しました(※3)。これにより、時に山中で道に迷う外国人旅行者のサポート体制が強化されるとともに、地域の遊休資産の活用や地域住民の雇用創出がなされています。

 山道を連日歩き通す外国人旅行者と聞いて、バックパッカーのように毎晩安宿(またはキャンプ)で旅を続ける低予算スタイルの旅行者をイメージされるかもしれません。もちろん、熊野古道にはそういった旅行者が全くいないわけではありませんが、1泊3.5万円以上する高単価ツアーに申込むようなインバウンド富裕層を、紀伊山地の山奥に惹きつけているのが熊野古道なのです。

※1:ガイドが同行するツアーも1泊4.5万円以上の価格で造成されている。
※2:地域の経済効果を高める施策の一つに、域内調達率の向上がある(参考文献:『インバウンドの消費促進と地域経済活性化』 公益財団法人日本交通公社編著)。
※3:2015年春

熊野古道はインバウンド富裕層の割合が約44%

 では熊野古道を訪れるインバウンド富裕層は実際にModern Luxury志向の旅行者なのでしょうか。ここでは筆者が在学中に実施したアンケート調査(※4)結果を基に、熊野古道を歩く外国人旅行者の特徴についてみていきます。調査方法は留置法による英語質問紙を用いた自計式調査とし、熊野古道沿いの集落(※5)における外国人旅行者の利用が多い宿泊施設と飲食店を調査地点として選定しました。有効回答数は88件と限定的ですが、回答者の国籍・地域は欧米豪が94%、アジアが6%と既存統計(※6)と概ね同様の傾向となりました。

 まず興味深い点は、高所得層の存在感です。世帯年収額が1,000万円以下の層が56.1%と過半数を占める一方、1,000万円以上の層は43.9%と一定数を占めています【図2】。観光庁が実施している訪日外国人消費動向調査では、インバウンド全体において世帯年収1,000万円以上の層が占める割合は22.2%となっており(※7)、欧米豪割合が高い熊野古道では訪日市場全体と比較して高所得層の旅行者が多いことがわかります。

 世帯年収が1,000万円を超える富裕層(※8)は、何を求めて熊野古道を訪れるのでしょうか。その心理を探るべく、同調査では旅行者が熊野古道に対して感じる魅力ポイントを複数回答で尋ねました。世帯年収が1,000万円を超える富裕層の回答だけみても、「自然」「美しい風景」が9割を超えるとともに、「古道沿いの集落」「地元の人々」が8割超と、熊野古道を構成する地域の人々の営みが魅力として捉えられていることが伺えます【図3】。

【図2】調査回答者の世帯年収額(n=41)

【図3】熊野古道に対して魅力を感じるポイント
(n=18:年収1,000万円以上の回答者)

※4:2017年9~10月に実施
※5:和歌山県田辺市中辺路町近露・野中地区
※6:和歌山県観光客動態調査
※7:観光庁「訪日外国人消費動向調査」2019年年間値(確報)・観光レジャー目的
※8:富裕層の定義は様々になされているが、本稿では便宜的に世帯年収1,000万円以上の旅行者を「富裕層」とした。

今後はインバウンド富裕層におけるニーズの多様性に注目

 熊野古道を訪れるようなインバウンド富裕層は比較的新しいModern Luxury志向を持った旅行者といえそうです。彼らはラグジュアリーホテルに滞在するよりも地元の人々と交流できる民宿での滞在に魅力を感じ、自然と人間が織りなしてきた本物の巡礼路を歩くという体験に価値を見出しています。筆者が実際に滞在して得た感覚としても、熊野古道固有の文化や景観が彼らの目に「魅力」として映ることが頷けます【図4】。


【図4】標高が高い集落で雲海を眼下に目覚める朝(筆者撮影)


 確かに、海外の富裕層に日本を訪れてもらうにはClassic Luxury志向の旅行者が好んで宿泊する「高級ホテル」の整備は必要でしょう。ただし、インバウンド富裕層は「高級ホテルにしか泊まらないものだ」と思い込んでしまっては、Modern Luxury志向の旅行者を取り逃がしてしまいかねません。また、Classic Luxury志向の旅行者にとって馴染みのある外資系高級ホテル等で高額な消費が行われても、その多くは地域外へ流出してしまうというジレンマもはらんでいます。こうしたことから、インバウンド富裕層を捉える際には、富裕層の中における志向やニーズの多様性にも注目する必要があるのではないでしょうか。