ムスリム旅行者対応にまつわる私感 [コラムvol.196]

2013.08.07

研究調査部  川口明子
研究員コラム

 急速に拡大する東南アジア発訪日旅行市場。同エリア人口の4割を占めるムスリムへの対応が喫緊の課題となっています。多くの日本人にはこれまで接点のなかったムスリムの人々を迎えるために必要な受入環境とは。これを考えるには、まずはムスリムご本人たちに話を聞いてみるのが一番!ということで、今回のコラムでは私が最近お会いしたインドネシア留学生たちの話を交えながら、今の私なりの考えをまとめてみました。

■拡大する東南アジア市場

【グラフ】東南アジアからの訪日外客数 上半期実績の推移
     (データ出所:JNTO) グラフ
【図】ムスリムの五行
   (日本アハマディアムスリム協会資料よりJTBF作成) グラフ
 時間が経つのは早いもので、今年ももう8月。しばらく暑い日が続きそうですが、今年は訪日市場もアツいです。先ごろJNTOから発表されたデータによれば、2013年上半期の訪日外客数は前年同期比22.8%増の495万5千人と過去最高を記録しました。

 国籍・地域別では、台湾・香港のほか、東南アジアのうち5カ国(タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、ベトナム)からの訪日外客数が過去最高を記録。中でもタイ、インドネシア、ベトナムからの訪日外客数の伸びが顕著で、比較的好調だった2010年上半期と比べても2倍近くに拡大しています。

 東南アジア市場の拡大を受け、昨今注目を集めているのが「ムスリム対応」です。ムスリムとはアラビア語でイスラム教徒のこと。東南アジア全体ではおよそ4割がムスリムであるほか、人口が最も多く訪日外客数の伸びも著しいインドネシアでは実に9割近くがムスリムであるといわれています。

 ムスリムの人々には、礼拝や断食など「五行(ごぎょう)」と呼ばれる5つの行為が課せられています。食事の面でも、食べられる物(ハラール)と食べてはいけない物(ハラーム)が細かく定められています。ムスリムは旅行中もこうした戒律に気を配らなければなりません。そのため、東南アジアから日本を訪れるムスリムが、日本滞在中もこれらの行為を支障なく行えるよう受入環境を整備する動きが、我が国でもにわかに広がってきているのです。

■ムスリムの戒律は厳しい?

 私自身は、これまでムスリムに接した経験が全くありませんでした。ところが、幸運なことに最近立て続けに3人のインドネシア人とお会いする機会がありましたので、世間で言われているところの「豚肉が食べられない」「アルコールが飲めない」「礼拝をしなければならない」など、実際のところはどうなのでしょう?と尋ねてみることにしました。ちなみに、みなさん東京にお住まいの勤勉な留学生です。

 お話を伺った結果、「豚肉が食べられない」ことや「1日に5回お祈りをする」ことは、みなさんその通りとのことでした。しかし、豚肉以外の食事について細かく聞き出そうとすると、3人が3人とも「人による」とのご回答。私は当初、ムスリムの戒律は相当に厳格なものと思っていたので、最初に会った方から「人による」と聞いたときには少々拍子抜けしました。しかし、2人目も同じような回答だったので、3人目のときは「やっぱり」という感想に変わっていました。

 本来、ムスリムは豚肉以外の食肉についても、家畜に与える餌から屠畜、解体処理、輸送保管、調理場、食器に至るまで守るべき戒律が定められており、これらを満たした食肉でなければ食べてはいけないとされています。また、豚肉由来の成分が使われている調味料や医薬品、化粧品などの使用も原則禁じられています。

 一方で、ムスリムには厳格派とリベラル派(穏健派)と呼ばれる方々がいらして、一説によるとインドネシアのムスリムは7割がリベラル派ともいわれています。私がお会いした3人のインドネシア留学生は、いわゆるリベラル派だったようです。

■厳格派にはハラール認証、リベラル派には食材等の情報提示を

 原則としては厳しいルールがありながらも、実際には人によって見解が異なるという複雑な状況で、我が国としてはムスリム旅行者に対してどのような受入環境を整備していけば良いのでしょうか。ムスリム・セミナーを聴講したり、先に登場した3人のインドネシア留学生から話を聞いたりした上で、今の私なりの見解をまとめてみました。

 まず、厳格派の方々への対応方としては、やはりムスリム専門機関からきちんとハラール認証を受けた宿泊施設や飲食店、土産物を増やすことが基本となります。一方、リベラル派の方々に向けては、ハラール認証を受けていない店舗においても豚肉を使わない料理や土産物を用意するとともに、ムスリム自身が商品やサービスを選択するのに必要な情報をきめ細やかに提示することが効果的です。飲食店であれば、メニュー上に料理名とともに使用食材を明記します(もちろん英語で)。そうすることで、リベラル派の人々は自己の信条に基づき、自分が口にすべきものを自分で選ぶことができるようになります。

 日本では現実問題として、ハラール認証取得のハードルが高く二の足を踏んでしまう店舗が多いと思います。しかし、ハラール認証を取得しないまでも、可能な範囲でムスリム対応の工夫を行う店舗が増えることで、リベラル派ムスリムにとっての訪日旅行の楽しみの選択肢が広がるのです。

 ただし、たとえ豚肉未使用の料理でも、使っている食肉がハラールでなかったり、調味料に豚肉由来の成分が入っていたりしますので、厳格派を含めたムスリムの人々の混乱を招かないよう、安易に「ハラール」という言葉は使わない方が良いでしょう。

■「いつもの」環境を整えて安心感を与えたい

 話はガラリと変わりますが、私は年初に台湾へ行きました。ホテルでは朝食を付けなかったので、台湾滞在中は街中で朝食の場所を探すことに。やや薄暗いアーケード下に連なる商店街には、台湾人の朝食需要を狙った屋台が複数あって、中には行列の出来る店舗も。歩き回って悩んだあげく、結局はスターバックスに入ることにしました。「台湾まで行ってなぜスタバ?!」とツッコミが飛んできそうですが、異国のスタバがどんなものか、ちょっと見てみたいという好奇心もあった次第です。

 私はカフェインが苦手なので、いつもカフェではカフェインレスの飲み物を注文します。私の一番のお気に入りは「ほうじ茶ラテ」。ご存じない方は「ほうじ茶」と「ミルク」の組み合わせに一瞬戸惑うかもしれませんが、慣れるとやみつきになります。

 朝食を求めて台湾のスタバに入り、頭上のメニューを見上げたところ、何と「ほうじ茶ラテ」が台湾のスタバにもあるではないですか!日本にしかないと勝手に思いこんでいたのでこれにはビックリ。異国の地で思いがけなく「いつもの」飲み物で喉を潤し、安らぎのひとときを過ごしました。

 ムスリム対応について考えていたときに、ふとこの台湾の経験を思い出しました。ムスリムの方々も、もしかしたら異国の地で「いつもの」環境が用意されていることで、私が台湾で感じたような安らぎが得られるのではないか。そんな考えが頭をよぎったのです。

 イスラム教の戒律は、ムスリムが守らなければならないルールであると同時に、それに基づく一連の行動は彼らの日常生活そのものです。日本でムスリム旅行者対応を図るということは、単にルールに合わせるということだけではなくて、「いつもの」環境を提供することによりムスリム旅行者に安心感を与える行為に他なりません。

 旅行は「非日常」を楽しむものですが、ときには旅の疲れも生じます。無理なく旅を続けるには、「非日常」から得られる高揚感と、「日常」と同じもの(あるいは近いもの)から得られる安心感のバランスが大切。我が国のムスリム対応においても、ムスリムの生の声に耳を傾け、彼らが安らぎのひとときを過ごせるような「いつもの」環境を整えていきたいものです。

【おまけ】ムスリム用アプリ「Islamic」
アプリ1 アプリ2 お祈り時刻やメッカの方向を示すコンパスなどの機能が盛り込まれたスマートフォン用アプリ。私がお会いしたインドネシア留学生はみなスマートフォンを使っていて、このアプリも留学生の方に教えてもらいました。古来より続くムスリムの五行にも、デジタル化の波が到来しています。

 

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