要旨

 抗しがたいライフスタイルの現代化の流れの中で、かつての美しい農山漁村風景は、次第に失われつつあります。岩手県三陸沿岸の小村・田野畑村の番屋景観保全への取り組みは、住民自らが農山漁村本来の魅力に気づき行動することの大切さを気づかせてくれます。

三陸・田野畑村と北山崎

 盛岡から車で早坂高原を越えて東に約2時間半。典型的なリアス式海岸が続く陸中海岸の北部に、人口4,400人ほどの小村・田野畑村があります。主産業は三陸の豊かな海と北上山地の山里の恵みに育まれた水産業と農業(酪農)。水産業は、豊かな漁場を間近にしたワカメ、コンブの養殖やアワビ、ウニの捕獲など。とりわけ田野畑ワカメは絶品です。
 田野畑村のもう一つの自慢が、「陸中海岸国立公園」に含まれる豊かな自然景観です。200mの断崖の景観美を誇る「北山崎」は、当財団の全国観光資源評価において、本州の海岸景観で唯一特A級(わが国を代表し世界に誇示しうる観光資源)に評価され、年間50万人を超える観光客が訪れます。
 とはいえ、田野畑村を訪れる人の大半が立ち寄る北山崎での滞留時間は、せいぜい15~20分。多くは岬の展望台からポスターでよく目にする風景を確認するだけで立ち去り、村内の他の場所を訪れる人もほとんどありません。宿泊率にいたってはわずか1%にも満たないのが実情です。自慢の風景も、村の観光振興や活性化に結びついているとは必ずしもいえないのです。
 そんな村が、数年前から、漁業を活かした体験型観光に本格的に取り組みはじめ、元気のある漁村づくりのきっかけを掴みつつあります。その一つが、机浜番屋群の保全と番屋ガイドへの取り組みです。

トタン屋根の番屋群が観光資源になった

 景勝地「北山崎」からほど近い入り江の入り口にくると、海岸道路沿いに簡素な小屋群が目に飛び込んできます。小屋群の名前は「机浜番屋群」(後で命名されたものですが)といい、その数25棟。番屋とは、本来、漁場を管理するために漁夫が寝泊まりする施設のことで、机浜の番屋群は、主に漁具の収納やワカメ、コンブなどの乾燥作業場として利用されている納屋に近いものですが、今でも漁期の忙しい時には納屋に泊まり込む漁師もいるようです(蛇足ですが、時化や津波を避けるため住居は高台に建てられています)。
 有名な北海道西海岸の漁村に見られる「鰊番屋」に比べると、大半がトタン屋根のこの小屋群は、お世辞にも「美しい」とはいえません。しかし、数年前、体験型観光に取り組む村のお手伝いではじめて訪れた時から、私にとっては北山崎以上に印象深い、実に味のある風景なのです。
 そんな感想を口にしても、地元の方はほとんど無反応でした。「こんなトタン小屋のどこが魅力なのか?」と。そうした中にも、この番屋群の大切さに気づいてくれた(気づいていた)人たちがいました。机地区集落の青年会組織「机郷友クラブ」の人たちです。彼らは、岩手県立大学などの専門家の協力を仰ぎながら番屋群の現況調査を行い、すばらしい番屋マップを作るなどして、漁村文化の継承と番屋群の活用に取り組みはじめました。
 そうした努力が実り、平成18年2月、水産庁の「未来に残したい漁業漁村歴史文化財百選」に選ばれました。その後、番屋群の入り口には、誇らしげに百選認定の看板も立ち、今では立ち寄る観光客もよく見かけるようになりました。あのトタン屋根の小屋がついに文化財になり、観光資源になったのです。
 現在、番屋群の保全・活用への取り組みは、机郷友クラブをはじめ番屋所有者や自治会、体験村・たのはた推進協議会、村などを巻き込んだ「机浜番屋群保存協議会」の設立(平成19年2月)を経て、番屋の修復や資料展示の充実、体験番屋の整備、さらに漁師による番屋のガイドなど、番屋を文化財として保存しながら村の活性化に役立てる様々な取り組みへと発展しています。

農山漁村の魅力とは

 今、旅行者は「本物体験」を求めています。では、「本物」とは何でしょうか。風景でいえば、それは決して見た目の美しさだけではありません。風景には意味があります。魅力ある地域の風景からは、その地の自然の厳しさやそれと向き合う人々の暮らしぶり、場合によっては住民の人柄までもが感じとれます。「その地だから」という納得のいく意味ある風景に出会えたとき、旅行者は魅力を感じるのではないでしょうか。
 中途半端な田舎が増える中で、農山漁村本来の生活風景を残していくこと、地域の人たちがそれに気づき自ら行動を起こしていくことで、外の人に評価され、それが自信となってまた新たなチャレンジにつながる・・・田野畑村の取り組みから、あらためてこんなことを感じさせられました。

陸中海岸国立公園と北山崎 北山崎
田野畑村の位置 迫力ある海岸景観美を誇る「北山崎」
机浜番屋群 番屋ガイド
「未来に残したい漁業漁村歴史文化財百選」
に選ばれた机浜番屋群
漁師などが番屋を案内する「番屋ガイド」
(写真提供:体験村・たのはた推進協議会)