「里山」「ツーリズム」「持続性」 ~これからの研究の視点~ [コラムvol.141]

 つい先日の出張で中央本線の特急「あずさ」を利用しました。車窓には木々の新緑と田植えを待つ水田が次々に現れては消えていきます。今回は「里山」「ツーリズム」そして「持続性」をキーワードとしてこれから取り組もうとしている研究に触れたいと思います。ツーリズムは里山での地域活性化の取り組みの持続性を高めうるものなのでしょうか?

■「里山」に対するまなざし

 「里山」あるいは「里地里山」といったコトバを耳にする機会は以前よりも多くなりました。最近は「生物多様性国家戦略」と関連してテレビ番組等で取り上げられることもあり、その映像美に触れる機会も多いのではないでしょうか。
 環境省のウェブサイト*1によると、「原生的な自然と都市との中間に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原などで構成される地域」で、「農林業などに伴うさまざまな人間の働きかけを通じて環境が形成・維持」されてきたこと、「特有の生物の生息・生育環境として、また食材や木材など自然資源の供給、良好な景観、文化の伝承の観点からも重要な地域」であるとされています。
 例えば造園学(定義は色々あると思いますが、ここでは人と環境の関係性を特に空間の計画・デザインの面から追究する学問と考えて下さい)の研究分野に目を向けてみると、現在「里山」と呼ばれている地域を計画論の対象として明確に位置づけた時期は1926年にまで遡ることができる*2そうです。しかし里山に対する視点はその後、時代の社会背景に応じて変遷していきます。
 時代を追って主な研究の視点をピックアップしてみると、中山間地の振興を目的とした薪炭林など一次資源の生産環境としての里山(1960年頃まで)→都市側の視点を中心とした都市近郊緑地としての里山の利用方策(1960年代)→風致維持やレクリエーションなど公益的機能から見た里山の植生管理(1970年代)→里山の二次的自然の保全のあり方(1980年代)といった具合です*2
 このように、造園学の研究対象としての里山は時代に応じて様々な切り口から光を当てられてきたことが分かりますが、それではツーリズムの分野において里山をあらためて見てみるとどうでしょうか。ここでは「里山を訪れる側」と「里山で(来訪者を)受け入れる側」の双方の視点で考えてみたいと思います。

■ツーリズムと里山の関わりの変化 ―訪れる側の変化―

 まず「里山を訪れる側」の視点に立った時に注目したいのが、社会の経済的な成熟過程での価値観の多様化です。以前このコラムで「風景は『発見される』もの」であり、その中でも近年の里山の風景に関しては今森光彦氏が発表した写真群が1つのきっかけとなったと書きましたが、今森氏が作ったきっかけに社会が反応した(つまり里山の魅力に気づき、共有するようになった)のは、個々人の中に今までに気づかなかった里山の魅力を美しいものと捉えるような「変化」があったからでしょう。その回のコラムでは触れなかったのですが、この「変化」とは、ものごとの背景にあるより本質的な部分への着目と言えるのではないでしょうか。
 例えば、農村エリアでの観光メニューの1つとして果実の収穫体験やそば打ち体験があります。もちろん現在でも果実を収穫し、そばを打って食べることは魅力的な体験で、実りを味わうことを通じて農の生活に触れる象徴的なものだと言えます。しかしこれらをメニュー単体で切り取ってとらえると、必ずしもその背景にある日々の農家の日常的な生活の全体像に対する興味を喚起するものではないように思います。
 一方近年の来訪者は「ホンモノ」を求めていると言われます。それではホンモノとは何なのか?一言で言い表すことはできませんが、観光におけるメニューに関するホンモノの要件として一つ言えることは、「ただ体験する」だけでなく、「体験の背景にある本質に触れる」ものであることではないでしょうか。そのように考えると、背景にある本質から切り離された体験では、来訪者に対して与えるインパクトが欠けることになるでしょう。

■ツーリズムと里山の関わりの変化 ―受け入れる側の変化―

 一方、「里山で(来訪者を)受け入れる側」では、外部の人間が地域社会(集落)に入り込むことに対するスタンスが変化したのではないかと考えられます。元来、特定の土地と強く結び付いている農山村社会は、人の出入りに関してデリケートだったはずで、「よそ者」である来訪者を受け入れるのにも相応の心理的ハードルがあったと考えられます。前述したような果実の収穫やそば打ちの体験を観光客向けに設えて提供することは、言い換えると自分たちの日常生活とは一線を画した部分で来訪者を受け入れることであり、人の出入りに敏感な農村にとって理にかなったスタイルだったかもしれません。
 しかし、少子化・高齢化・過疎化といった構造的な課題があり、地域活性化策として都市部との交流策が大きくクローズアップされたこと、また来訪者の受け入れが農産物の消費者との直接的なやり取りに結び付き、従来の流通ルートとは異なった付加価値づけができるようになったことなどから、外からの来訪者を受け入れることに対する理解は従来に比べると各地域で浸透したのだと思われます。

■里山での「図」と「地」の関係性の変化

 これらのことから感じるのは、ツーリズムにおける地域の「図」と「地」の関係性の変化です。「図」と「地」というのはゲシュタルト心理学の用語だそうですが、私なりに簡単にまとめてみると、環境を捉えるときに意味を持って認識される部分、すなわち「図」と、認識から外れて背景になる部分、すなわち「地」とがあるということです。例えば黒い紙に白い⊿が描かれている場合、一般的には⊿が「図」として認識され、それ以外の部分は背景、つまり「地」として認識されるでしょう。
 これを前述した訪れる側の変化に当てはめてみると、これまで里山あるいは農村のツーリズムで「地」だと考えられてきた農村の何気ない風景や、農家の方々の生活、その中から生まれた文化などが、「図」として浮き上がってきた、と言えるのではないでしょうか。里山でのツーリズムに関して「図」と「地」の関係性が逆転あるいは多様化しているのです。

■ツーリズムは里山における地域活性化の取り組みの持続性を高めうるか?
                                 ~これからの研究の視点~

 こうした変化によって、来訪者を受け入れる地域側では新しい課題も生まれるでしょう。ホンモノへの欲求がいっそう高まる中で、これまで日常生活とは一線を画して来訪者を受け入れてきた地域がどのように対応していくか、という問題です。ホンモノを提供しようとすれば、自分たちの生活の領域内に来訪者が入り込むことにもなるからです。
 今、いわゆる観光地ではない多くの地域がツーリズムに着目して地域の活性化に取り組んでいますが、それぞれ「取り組みをどう持続させていくか」という課題がついてまわります。取り組みを何らかの形で事業化したのであれば経済的な面での持続性の問題がありますし、地域内で取り組みをどのように展開していくかという担い手の面での持続性の問題もあります。そして今回触れたホンモノの提供に対して持続的にいかに向き合うかという問題です。おそらく観光産業を柱として発展してきた観光地とは異なる視点も必要になるでしょう。

コラムの冒頭で触れた車窓の風景は、研究のためフィールドへ出かける道中で目にしたものです。研究のキーワードは「里山」「ツーリズム」そして「持続性」。ツーリズムは果たして里山における地域活性化の取り組みの持続性を高めうるものなのでしょうか。難しいテーマであり、各地域で共有できるような一般解は簡単に見つからないかも知れませんが、今回フィールドで見聞きしてきたことを最初の手がかりにして、この問題を少しでも解きほぐしていきたいと考えています。

*1 : 「里地里山の保全・活用」環境省自然環境局ウェブサイト
    http://www.env.go.jp/nature/satoyama/top.html

*2 : 「里山研究の系譜―人と自然の接点を扱う計画論を模索する中で―」
     深町加津絵・佐久間大輔(ランドスケープ研究VOL.61 NO.4)