「田舎に救われる」時代がやってきた!? [コラムvol.83]

はじめに

 過疎化、高齢化が進む農山村地域にとって、交流人口の増大と地域への経済効果をもたらす観光・交流への取り組みは、地域再生の重要なテーマです。こうした農山村地域の再生には、多くの場合、都市側の人間の立場から田舎を支援する、というスタンスが取られがちですが、何か大事な視点を見落としている気がしませんか?

「バッタリー村」を訪ねて

 その名もユニークな岩手県の「バッタリー村」。もちろん、正式な自治体名ではなく、県都・盛岡から車で約2時間、平庭高原にある山形町荷軽部集落にあるわずか5戸の交流の村です。山村の生活文化の豊かさを都市の人に体験してもらうため、昭和60年7月に開村(宣言)しました。
 村名の「バッタリー」とは、沢水を利用してヒエやアワなどの雑穀を脱穀・製粉する道具のことで、昭和58年に復活させ、都市との交流のきっかけともなった山村生活文化のシンボルです。開村から約25年、現在村内には、いくつものバッタリーの他、廃屋を改修した茅葺き屋根の「生き生き創造館」、炭焼き体験ができる「炭研究所」、語り合いの場「たくきり庵」、ものづくり体験ができる「夢工房」など素朴ながらも山村文化を体験できる手作りの施設がのどかな山里に点在し、都市住民との自然体の交流を続けています。

木藤古村長と「バッタリー村」精神

 先日、「バッタリー村」の訪問を決意し、同僚が電話で訪問の打診をしたところ、「東京なんて遠くから無理して来なくていいよ~」という期待はずれの返事が返ってきて、同僚も思わず「え?」。
 本当に来てもらいたくないのだったらどうしようか?そんな不安を抱きながら現地を訪れた時、迎えてくれたのが電話の声の主、バッタリー村村長の木藤古徳一郎さん。80歳を目前にして意気軒昂。人なつっこい笑顔で迎えてくれた木藤古さんにお会いした瞬間、電話でのやりとりが、彼の人柄と自然体で交流をするという信念から発せられたものであることを理解しました。
 訪問当日は、運良く仙台市にある中学校の教育旅行の受け入れがあり、見学をさせていただくことができました。その日のプログラムは、2時間ほどの「豆腐づくり」と「木皮工芸」の2つの体験。講師は、村長の木藤古さんと奥さん、地元の役場OB(支援者)、それから田舎探しを目的にバッタリー村にやってきて1週間という若い女性の4人(お客さん扱いしないで手伝ってもらうところがスゴイですね)。
 さて体験の様子。「便利なハリガネを使わない」、「一つとして同じ物(作品)はない」・・・そうした言葉を子供達にたんたんと語りかけるその姿からは、決して説教じみた話や技術的な指導ではなく、「ここで過ごした2,3時間が、その子の一生にとって少しでも大切なものになってくれれば」という思いと、バッタリー村憲章に掲げる開村以来変わらない精神があふれていました。

    【バッタリー憲章】
     「この村は与えられた自然を生かし、この村に住むことに誇りを持ち、一人一芸何かをつくり、都会の後を追い求めず、独自の生活文化を伝統の中から創造し、集落の共同と和の精神で、生活を高めようとする村である」(昭和60年7月14日制定)

「田舎を救う」から「田舎に救われる」時代へ

 近年、基礎的条件が厳しく維持が困難な集落(いわゆる「限界集落」)に対する支援の必要性が高まってきています。この点についていえば、バッタリー村は開村時からすでにそれに似た状態で、今なお脱皮できているわけではありませんが、バッタリー村には、「限界」を感じさせないものがあります。
 その一つが、住民の心のあり様です。少年以上に澄んだ目をして、今なお「夢」を追い続ける木藤古さん曰く、「心が折れていないから限界じゃない。元気集落です」。確かに物理的に集落機能の維持は難しいことは否定できませんが、たとえ若い人がいても、地域に誇りと責任のもてない「心の折れた」人ばかりであれば、決して健全な姿とはいえません。
 もう一つは、木藤古さんの夢を支える外の人たちの存在です。バッタリー村には、かつて村を訪れ交流を深めた人たちがつくる「バッタリー・ネットワーク」という30~40人ほどのメンバー組織を中心に村を支える活動をする人たちがいます。特に弘前大、岩手大、北里大、東京農大などの先生や学生との交流を育み、彼らの手作りで、村には新しい施設が年々増え続けています。バッタリー村は、わずか5戸(世帯)の小さなコミュニティではあるものの、外の人を巻き込むことで、新たな結いの関係による大きなコミュニティを成立させているのです。

 さて、冒頭に述べたように、過疎化の進む農山村地域の再生は、多くが都市側の人間の立場から田舎を支援する、つまり、「都市住民が田舎に行くことで、過疎地域が救われる」といったニュアンスがあるように思われますが、果たしてそれだけでしょうか?
 バッタリー村の施設(建物)の壁という壁には、ぎっしりと、訪れた子供たち、学生たちの思いが壁書きとして残されています。そこには素直な感動や喜び、日常の生活の中で見失ったこと、生きていく上で大切なことに気づかせてくれたことへの感謝の気持ちなどが素直に記されていて、農山村(田舎)の真の価値がどこにあるのか、つくづく考えさせられます。

 皆さんもお気づきかと思いますが、最近、若い人からも「疲れた」「癒されたい」といった言葉をよく耳にするようになりました。若い人にも、日常生活を送る中で自分の生き方に自身がもてなかったり、健康な「心」を保てない人がたくさんいます。そう考えると、田舎を本当に必要としているのは、団塊世代など元気あふれる熟年層などではなく、むしろ元気を失った若い人たちなのではないでしょうか。
 今後、過疎化の進む農山村地域の再生という課題を考えるとき、そうした人たちが元気を取り戻すために必要な場所として、農山村(田舎)のもつ価値をこれまで以上に強く認識していくことが重要だと思います。

バッタリー村
のどかなバッタリー村の風景
バッタリー小屋
シンボルのバッタリー小屋
バッタリー小屋
夢を追い続ける木藤古村長
中学校の体験
中学校の体験の受け入れ風景(上)
木皮工芸体験(右上)/豆腐づくり体験(右下)

木皮工芸体験

豆腐づくり体験

壁書き
子供たちや学生たちの思いが記された壁書き
見送り風景
見送り風景