VFRがひらくツーリズムの未来 [コラムvol.185]

概要

 ツーリズムの3大目的とされるのが観光(休暇)、ビジネス、そしてVFRです。筆者は、このVFRが今後、優れて21世紀的なツーリズムとして重要な位置付けを獲得していくのではないか、と考えています。

本文

 標題をご覧になって、まず「VFR」ってなに?と思われた読者の方がおいでになるかもしれません。VFRとは Visit Friends and Relatives つまり、友人・親族訪問を意味する略語で、海外で観光統計の旅行目的の分類に用いられる言葉ですが、日本ではまだ聞く機会の少ない言葉です。実は日本にはVFRに似た意味の「家事・帰省」という言葉があります。なら最初からVFRなどと横文字で書かず家事・帰省と書けばよさそうなものですが、そこはこのコラムを最後までお読みいただくと、何でわざわざVFRと書いたか、その意味がお分かりいただけると思います。

 さて、今日、世界では年間に10億人もの人が外国を訪ねる旅行をしています。これに各国の国内旅行者まで含めたらその数は文字通り膨大なものとなるでしょう。このコラムで考えてみたいのは、これだけの数の人々が一体何を目的に旅行しているのか、また、この先、未来の人々はどんな動機づけで旅行に出かけるだろうか、ということです。このような観点でものを考える時、役に立つひとつの視点は歴史ではないかと思います。例えばマルコ・ポーロやイブン・バツータといった歴史上の大旅行家は決して観光目的で旅行していたわけではありません。彼らは旅することで生きる糧を得ていたわけです。古代から現代にいたるまで、あまたの無名の人々が、同じように、生きるため、抜き差しならない理由を持って旅してきたと考えられます。これが今日のビジネス旅行、商用でする旅の源流であり、筆者はその本質を「生業(なりわい)としての旅」というところに見出せるのではないかと考えています。

 これとは対照的に、生きることには困らず、むしろ生活に余裕があるからこそ発達してきた旅があります。これこそが膨大な数の人々を巻き込んだ社会現象としての旅行、つまり「ツーリズム」の源であるわけですが、歴史上、その原型となったもののひとつは巡礼の旅であろうと思います。面白いことに、旅行目的としての巡礼と観光とは、一見、月とスッポンのように思える一方で、事実上、旅行に行くことそのものが目的化した旅行、という意味では大変近い間柄のようにみえます。巡礼や物詣のベースには信仰心があり、観光の場合は目当てのものを見るということが直接的な“目的”に当たるわけですが、これらの“目的”は額面通りの意味だけでなく「旅行に出かけるための理由付け」をするという、もうひとつの役割を果たしていると考えられます。農耕社会ではコミュニティの構成員が出かけて行って暫く不在になるということは、何らかの納得性のある理由付けなしには難しかったことでしょう。翻って現代の社会を考えるなら、我々は別段、理由付けがなくても出かけて行くことができるはずです。このような時代に旅行の目的を問うのは、ある意味、通行自由になった筈の検問所で“パスポートを見せろ”と要求するようなヤボな話ですが、それでも我々は今でも時折、思い出したように「それ仕事で行ったの?それとも旅行?」などと、隣人の旅行目的を確認してしまうことがあります。古い時代の残滓とでも呼ぶべきものではないでしょうか。逆にいうなら、今日、旅行は仮託された目的を必要としなくなり、遂にそれ自体で独立した目的たりうるようになった、といえるでしょう。

 このように筆者は「生業としての旅」と「自己目的化した旅」という二つの大きな括りを思い描いているわけですが、ここにもうひとつ、無視できない存在として考えているのが、冒頭ふれたVFRです。VFRは上述のような二元論でいえば生活の豊かさゆえに可能となった旅行の一類型にすぎないのですが、同時にこれと違った観点から特別な意味合いを持っていると感じています。そもそもVFRを目的とする旅行が生じてくるためには遠方に暮らす親戚などの存在が必要です。このためVFRはその国の歴史や社会、人口構造と関係が出てくるのです。例えば日本の場合、国内旅行では2~3割をVFRが占める一方、海外旅行のVFRは精々1割程度しかありません。国内では戦後の高度成長期などを中心とする人口の大規模な社会移動があったためにVFRの割合が増えましたが、これに比べると海外で暮らす日本人はまだ少なく、これが国内旅行と海外旅行のVFR比率の差となって表れているのです。一方、米国や豪州のような「移民の国」としての歴史があるところでは大洋の向こう側で親族が暮らしているのは珍しいことではありません。また自分のルーツをたどる旅のように、旅文化に根ざしたVFRの形態も存在しています。

 英国のCivil Aviation Authority の2010年の統計によればロンドン・ヒースロー空港の国際線利用客の目的で一番多いのはビジネス客でも観光客でもなく、VFRだということです。しかもその比率はこの10年ほどの間に上昇してきています。実は2008年の金融危機でビジネス客や観光客は減少したのですが、そうした時期にもVFRは減少せず、底堅い旅行需要であることを実証してきました。金融危機でビジネスのチャンスが減れば商用で出張しなければならない理由は当然減少するし、先立つものがなければ「生活の余裕を前提とした旅行」もまた減らさざるを得ない。しかし友情や血のつながりは多少収入が下がった程度で反故にはできない。VFRの底堅さは人々のそんな心理を示唆しているように思えます。

 英国の例をみていると、「VFR」が親族だけでなく「友人」訪問に言及している一方で、日本で広く使われてきた「家事・帰省」は専ら親族訪問を意味する言葉であるという点が気になってきます。ヒースローにおけるVFRの多さは、イギリスという国、あるいはグレーターロンドンエリアという地域の高い国際性に由来するものと考えられますが、VFRの近年の増加傾向は単なる親族訪問の増加だけでなく「イギリスに知り合いがいる」「ロンドンで友達が働いている」というVFRのすそ野の拡大からきているのではないかと思われるからです。

 10年近く前、八重山地方の観光客に関する調査に係わった折、旅行者が、最初、離島めぐりやグラスボートといった観光からスタートするのだけれど、八重山訪問を繰り返すリピーターとなるにつれ、次第に宿泊施設やマリンスポーツなどのアクティビティを提供する事業者、あるいはローカルな人々と馴染みとなり、最後はそうした人との結び付き、つまり友情、がリピートの強いモチベーションになっていくという様子を観察する機会に恵まれました。こうしたリピーターは八重山に限らず今後の観光地にとって最も重要な資産となる存在だと思いますが、彼らのモチベーションはある意味で「観光」の域を超えており、むしろVFRに近い感覚なのではないかと、その時、感じたことを記憶しています。このようにしてみると観光は初めての土地を訪問する「理由付け」のようなものにすぎず、観光地が最後に目指すべきゴールは、VFRのような、より深くて強い結び付きを人に与えるものなのではないかと思えてきます。

 最後に、金融危機下でも減少しなかったヒースローのVFRの話に戻りますと、今日、世界中の国々が自国に観光客を呼ぶためにしのぎを削っているわけですが、その本当の終着点は、実は観光客の誘致そのものではなく、むしろVFRのような質のビジターを増やすところにあるのではないでしょうか。それゆえ海外からビジターを誘致しようという国際観光プロモーション戦略は最終的には国の国際化戦略と一心同体のものとして発想されるべきなのではないか。人口の国際的流動が飛躍的に拡大すると予想される21世紀において、VFRは、この時代を優れて体現するツーリズムの形として発展していくのではないかと思います。