「キャリング・キャパシティ」は算出できるのか(その2) [コラムvol.50]

Vol.32として掲載された同タイトル(その1)では、キャリング・キャパシティ(Carrying Capacity)とは、いわゆるオーバーユースによる観光資源の劣化をくい止めるためのデッドラインであるといいました。そしてその算出方法をめぐる議論が進められたところ、数を科学的に算出するのは難しい、そもそも大切なことは”何人なら多すぎるか”ではなく、”自然の状態や、そこで体験できるレクリエーションの質はどうあるべきか”であるという結論がだされたと書きました。ここでハタと気がついたことが。

■生態的収容力

 オーバーユースが引き起こす問題点として直感的に思い浮かぶのは、マナーの悪い観光客の踏みつけや盗掘よって高原のお花畑の美しさが失われた、観光客が大切な歴史的建造物に落書きをした、そしてこれらは自然破壊、人文的な資源の破壊につながっている、というようなことではないでしょうか。観光はワルモノで、何とかしてこの観光悪から資源をまもらなければならない、という意識も少しはあるのかもしれません。確かに観光利用は資源に対して少なからずなんらかのインパクトを与えるわけですから、それを承知した上で、なんとかしてそのインパクトの軽減策を考えなければなりません。まずは観光客にマナー向上を呼びかけ、それで改善できなければ観光利用できる場所や利用時間などに制約を加えたりすることも考えなければなりません。このとき、利用の制約や誘導の基準を定める際の根拠としてキャリング・キャパシティの考え方が役に立ちます。このような観光利用と資源のダメージの関わりをもとにして考える環境収容力(キャリング・キャパシティ)のことを生態的収容力(Ecological Carrying Capacity)と呼んでいます。

■社会的収容力

 さて、前置きで書いたハタと気づいたこと、それは、”レクリエーションの質”という言葉です。彼らは資源のことだけではなく、それを楽しむ利用者のことも深く考えていたということに、少々驚いたのです。この議論にかかわった研究者たちには、自然科学者もいれば、むしろ議論をリードしたのは社会科学者であったということ、米国では国民には自然を楽しむ権利があるという考え方があるということも、このような発想がでてくる要素なのでしょう。
 壮大な自然の中に連なる自然散策路を歩くとき、団体バスで訪れた観光客が数珠つながりとなった後ろについて、おしゃべり声のこだまする中、視界の大部分が人の背中という状況下でとぼとぼと散策するのか。あたりには数人のハイカーしかいない中、静寂さと空気のすがすがしさを感じながら、視野のすべてを自然で埋め尽くして歩くのか。この両者では、全く印象や感動の大きさが異なります。荘厳な滝を鑑賞するとき、他人と肩がふれあうほどの雑踏の中でみるのか、ひっそりと静まりかえった状況の中、一人で対峙するのかによって、観光客の満足度は大きく違ってくるでしょう。
 観光利用時の周辺環境によって、利用の満足度は変化します。周辺環境には、音、臭い、目に入るものなど、利用者が感じるさまざまなことがらが想定されます。その中でも、周囲の混雑度、すなわち人の数は周辺環境をあらわす最も端的な指標だといえます。米国では、その場所にいる人の数と、その時の利用者の満足度の関係を調べて、満足と不満の境目となるような人数を適正人数として求めようという考え方がでてきました。
 この適正人数のことを社会的収容力(Social Carrying Capacity)ということばであらわしています。わが国では、他地域に先駆け、尾瀬において、その測定方法をあみだし、実際に算出してみようという研究的試みが始められています。

■資源の観光経済価値

 観光資源には人のこころを動かす力があり、その力の大小によって感動の大きさや、訪れたことに対する満足の度合いなどがかわると考えます。わたしはこの力のことを「資源の観光経済価値」とよんでいます。なぜ、観光経済かということは追って考えることにしますが、資源の力はイコール資源の価値という考え方には同意いただけるのではないでしょうか。
 資源管理ということばをよく聞くようになりました。わたしは、資源管理とは、資源の観光経済価値をコントロールすることだと考えています。そして、資源の観光経済価値は、資源そのものがもっている価値と、その資源とふれあう状況がつくる価値に分けられると考えています。
 キャリング・キャパシティのうち生態的収容力は資源そのものがもつ価値に、社会的収容力は資源とふれあう状況がつくる価値に強く関わるものです。ただし、キャリング・キャパシティだけを考えていけば資源管理の多くが達成されるということではありません。キャリング・キャパシティには、どちらかというと資源の観光経済価値の低減を防ごうということが発想の背景にありますが、資源にはさらに観光経済価値を付加することも可能で、このこともあわせて考えていくことが観光の現場では重要になります。
 さて、次回は資源の観光経済価値のコントロールという概念を核とした社会モデルの提示にチャレンジしたいと思います。
 
 
 (さらに次回につづきます)

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