要約

 2006年~2007年の景気回復下でも歯止めがかからなかった若年海外旅行者数。この10年続いた減少の真の要因はどうやら経済より社会的側面に隠されていたようです。本稿は人間関係(人付き合い)と消費行動を関連づける視点が、こうした問題を解く鍵となるのではないか、という考察です。

本文

 最近、ある若手職員からちょっと意外な話を聞かされました。彼は何年か海外で勉強や仕事をした経験がある人で、彼には似たような経歴を持つ友達がいるのですが、驚かされたのは、その友人たちが「日本に帰ってきた後、海外にだんだん行かなくなってきている」というのです。若年層全体に海外ばなれが進んでいることは周知の通りですが、外国語も話せ、海外に友人もいるであろう人達までも足が遠のいているとすれば、それは一体なぜなのでしょうか。今回のコラムでは、こうしたことの背景を考えてみたいと思います。

 実は、5年ほど前、私は「旅行の欲求」そのものをテーマと位置づけた研究に取り組んでいました。その時、いろいろな調査データやインタビューの中から気付かされたことのひとつが、「世の中には、距離の遠さや移動の煩雑さについて、並はずれた感覚を持っている人がいる」ということだったのです。もちろんこれは移動を極端に億劫がる人のことをいっているのではなく、逆に、こうしたことを驚くほど気にしない人達がいる、という意味です。
 このことに気付いたのは、海外経験豊富なある若者へのパーソナルインタビューがきっかけでした。このインタビューは、個人の海外旅行経験がどのように培われていくのか、またそれが旅行に行きたくなる気持ちとどのように結びついているか、ということをテーマに、色々なタイプの旅行経験を持つ人を呼んで話を聞いていたのですが、この人の場合、海外へ行くということは、東京に住む人が大阪や仙台に出かけていくのと大差がない、あるいはそれ以下と感じているように、思えたのです。それと同時に驚かされたのは、彼の回りには、彼と同じような感覚を持った友達が集まっている、ということでした。一方、彼と同世代の日本で生まれ育った友達には海外に行かない人が多いわけですが、それについて「どうして海外に行こうとしないか理解できない」といった彼の言葉を、私は今でも忘れることができません。
 それ以来、こうした特徴を持つ旅行者を私は「著しくモビリティの高い人」と呼んでいます。その典型例が5年前の研究の時に出会ったこの若者のように、20歳前から海外での経験を培ってボーダーレスな移動を当然と感じている人達だといえるでしょう。実は、冒頭の若手職員と話をした時も、最初は、この「著しいモビリティの高さ」について話が聞けるだろうと期待していたのですが…、安易な先入観はあっさりと裏切られてしまいました。

 もちろん、こうした話が、どこまで一般的に起きている出来事かは分かりません。ただ、この若手職員の話を聞いて私が直感的に感じたことは、もし何か変化が起きているとすれば、それは「人」ではなく「世の中」が変わったせいなんじゃないか、ということです。つまり「著しく高いモビリティの高さ」を獲得しうるほどの経験を培った人までもが海外に行かなくなってしまうとすれば、その要因は個人の側でなく、帰国した彼らを迎えたコミュニティの側にあるのではないか、と考えたのです。人の価値観や行動を変化させうるのは結局のところ人、その集団としてのコミュニティ以外にはないというのが、私の考え方だからです。もしこれが当たっているなら、若年層の海外ばなれの原因は「今の若者はこうこうだから」といった個々人の心理特性を探るような姿勢ではなく、彼らの人間関係がどのように変化したか、それと旅行という消費との関係がどう変化したかを説明することで、解き明かせるのではないかと思います。
 人間関係というものは人を突き動かす大きな力を持っています。例えば私の母の年金収入はその結構な割合が冠婚葬祭などの交際費に費やされています(最近は「葬」ばかりですが)。本人も節約したいと望んでいるのですが、つき合いの義理を重んじる限り、これは避けられない出費です。本人だけでなく、彼女と同年代(70代)の親族や知人の方たちが義理付き合いで消費する金額を見ていると、世の中には人間関係にことよせて儲けている人達が随分いるものだと関心させられます。
 もちろん旅行も例外ではありません。家族やサークル、職場での旅行はこうした人間関係・人付き合いの中から出てくる消費のひとつであり、これをビジネスモデル化した(株)クラブツーリズムのような旅行会社も出てきているわけです。若者の海外旅行が全般に低調な中で、卒業旅行だけがなぜ例外的に好調なのかということも、単に内定率が良くなったからというだけでなく、人づきあいの中で卒業旅行が果たす重要性が若年層のコミュニティにおいて認められている、という点こそが重要な要因なのだと思います。

 今後、若年層の海外ばなれの要因を解くには、従来の社会調査のように、社会を個々の人の単位まで分解して見るのではなく、むしろ、集団における人付き合いの仕方そのものを研究対象とするようなアプローチが鍵となっていくと思います。また、こうした考え方は、旅行以外の消費行動についても応用されていく可能性があると考えています。