食の楽しさ、一考 [コラムvol.87]

2009.06.26

観光文化事業部 黒須宏志
col-87

要約

 さまざまな味覚を受け入れつつある日本人の舌。だが味覚の許容範囲が拡大した一方で食事の楽しみ方についてはまだ下手な部分があるようだ。その背景には「食事観」とでも呼ぶべき食事に対する価値観が影響しているように思われる。

本文

 半年ほど前のことだが、私の町にインド料理の店がオープンした。私の家は東京から快速電車で1時間ほどのローカルな場所にあるが、子どもの時からこの町を見てきた者にとって、これは少しばかり衝撃的だった。インド料理はケバブやチャイニーズテイクアウトなどと並んで極めてインターナショナルな存在だ。都内なら珍しくもないが、それがまさか近所にできるとは! 15年ほど前、すぐ隣に住都公団の開発した街ができて都市化したとはいえ、自宅の裏は今も広々とした田圃、そんなローカルな町である。そこで早速、妻と賭けをした。こんな立地でインド料理はとてももたないだろう、というのが私の読みだったのだが、これがまた見事に外れた。確かに開店してまだ半年と短いが、今のところ、お客がちゃんと入っているのである。こんなローカルな場所で、焼肉や回転寿司を食べに行くのと大して変わらない感覚でインド料理が受け入れられるようになったのだとすれば、日本人の食もいよいよ本格的に国際化したものだと感心させられた。

 ところが、である。つい最近、これと真っ向から矛盾するような体験に出くわした。私の仕事では、一般の消費者の方に集まっていただいて旅行に関するよもやま話を伺う機会が時折ある。たまたま、その時、お越しいただいていたのは海外旅行の経験が豊富な方たちであったのだが、海外での食事の話になった時、そのうちのひとりがこんな話を聞かせてくれたのだ。その方はビジネス出張の経験が豊富で、特に取引先のあるスイスなどには随分行っているのだが「正直、本当においしいと思うものにめぐりあったことがない」と云うのである。スイスで何か印象に残っているものはというと、公園か何かで買って食べた「焼き栗」だというのだ。
 スイスで「焼き栗」がうまいなどという話は聞いたことがない。最初は呆れた話だと思って聞いていたのだが、実はこの他の方からも「ホテルの朝食で出たパンがおいしかった」とか「街頭で食べたワッフルがおいしかった」(因みにこちらの話はスイスとは関係なかった)といった単品の記憶が続々と出てくる一方で、食事そのものが良かった、おいしかった、という話があまり出てこなかったのである。どうやらコースミールのタイプの食事が全般に不評らしい。中には「日本ほどおいしいものが食べられる国はない。イタリア料理もフランス料理も日本で食べるのが最高。」と断定される方までいて、少々困惑した。

 さて、自分自身はと顧みると、私は国際会議で海外に行くことが多いのだが、そうした場所での食事で憶えていることはというと、何かおいしいもの、珍しいものを食べたり飲んだりした、ということよりも、食事をした場所のユニークさや、一緒に座った人の話の面白さ、あるいは余興の歌や踊りの素晴らしさ、ということの方が多いことに気づく。思い返してみると、最初は食事しながら英語で話すというのが重荷で味を楽しむどころではなかったのだが、場数を踏んでそうした場の雰囲気に慣れることで、だんだんと苦にならなくなってきたように思う。英語がうまくなるとか、そういうことよりも、むしろ「楽しく過ごせばいいんだ」と気楽に構えることで、楽しめるようになったような気がする。

 考えてみると、その「食事の楽しみ方」については、私たち日本人と、例えばヨーロッパなどの人たちとの間に、今でも相当なギャップがあるように思う。例えば、ご承知のように、ヨーロッパなどのディナーはやたらに長い。私の経験では夜の9時から始まったディナーが12時過ぎになっても終わらなかったことがある。アペリティフやスターターなどは、ただですら長いディナーを更に長引かせるために工夫されたとしか思えない。おいしくて、楽しくて、幸せな時間を、少しずつ、長々と楽しもうとしているのだ。ところが時差ボケに悩まされる日本人旅行者にとって、このようなスタイルは時として苦痛以外の何ものでもない。私たちのホンネは、極論するなら「まだるっこしいな!料理を一度にならべて出してヨーイドンで食べても同じでしょう?」なのだから。

私はこうしたギャップの背景に彼我の「食事観」の差があるのではないかと思う。私たち日本人の食事観は、どちらかというと「どのように食事を楽しむか」より「何を食べるか」を重視しており、また多くの人が食事について「味」を第一義的に重視した考え方をしているように思うのだが、どうだろうか。仮にそうだとすると、冒頭の「焼き栗」のような話は、食事が口にあうかどうかというより、食事観のズレに負う部分が大きいのではないかと思う。もちろん、どちらの食事観が優れているとか、正しいということはない。ただ、ローカルなインド料理屋にみられるように、味覚の許容範囲は拡大している一方で、この食事観が災いして、食事の楽しみ方は大して上手になっていない、という気がする。「おいしく」「たのしく」食べられるのが理想なわけだけれども、現在の日本人の食事観は「おいしいかどうか」にやや偏っているのではないだろうか。ひょっとすると家庭内における個食(家族が集まって食事するが食べるのは別々のものを食べている)の問題や、ファーストフードばかりが流行る外食産業の状況なども、こうした観点から考えてみる価値があるかもしれない。

 日本人の食は、今後、「食を楽しむ」という側面でもっと変わっていく可能性を秘めていると思う。これは海外での食についての感じ方だけでなく、外食、内食を含めた食に対する考え方全体を変えていくものになるかもしれない。

 

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