被災地を訪れるということ [コラムvol.146]

2011.08.03

研究調査部 渡邉智彦
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■東日本大震災からの復旧・復興に向けて観光に寄せられる期待と、その本質的な課題

 観光は、交流人口の受け入れを通じて、地域の経済活性化と雇用の確保に寄与するという一面を持っており、今回の東日本大震災による被災地の復旧・復興においても大きな役割を果たすことが期待されています。もちろん実際に被災地を訪れるにあたっては、被災した方々の生活や心情に配慮すること、被災地のニーズや受入環境を考慮することが不可欠ですが、多くの人が被災地を訪れ、ボランティア活動や様々な消費行動を通じて被災地を継続的に支援していくことは、被災地の復旧・復興を考えるうえで極めて重要だと言えます。

 しかし、ひとりの人間が被災地を訪れるまでの、その心の動きに注目したとき、そこには乗り越えなければならない重大なハードルが見えてきます。そのハードルとは、“被災地を本当に訪れてもよいのだろうか”と感じる、私たち一人ひとりの心理的な抵抗感・不安感がいかに払拭されるのかという点、そして、“被災地を実際に訪れてみよう”という私たちの気持ちがいかに高まるのかという点にあります。前者(心理的な抵抗感・不安感の払拭)と後者(被災地を訪れようという気持ちの高まり)の問題は密接に関連している部分がありますが、私が特に重要だと考えているのは後者の問題です。前者は、基本的に抵抗感・不安感の原因を取り除くこと(正確な情報の発信、被災者や支援者からの呼びかけ等)によって解決していくことが期待されますが、この問題の解決は必ずしも「被災地を訪れるという行為」に結びつくわけではありません。そのため、むしろ後者の問題、すなわち「被災地を訪れる意味や価値」について深く考えることこそ、より本質的課題となるのではないでしょうか。

■「パトリオティック・ツーリズム」に見る、観光による被災地支援の可能性

 「被災地を訪れる意味や価値」を考えるヒントのひとつになるのが、2001年の米国同時多発テロ以降、米国内で起きた「パトリオティック・ツーリズム」(愛国的な観光)です。

 米国同時多発テロの直後、ブッシュ大統領(当時)は「テロとの戦い」を宣言、ジュリアーニ市長(当時)は「普段通りに生活することの重要性」をニューヨーク市民に強く訴えました。このような国の威信を揺るがす大事件を前に、米国民の愛国心は激しく高揚し、その結果、米国民はニューヨーク市を目指して旅行するようになったのです。現地を実際に訪れ、そこで食事を取り、宿泊施設に滞在することが、経済回復につながる重要な方法だと考えて、数多くの米国民がニューヨーク市を訪れました。しかも、その多くは、それまでニューヨーク市を旅行することなど全く考えていなかった人たちだったということです。

 興味深いことに、このパトリオティック・ツーリズムの動きは瞬間的なブームにとどまることなく、少なくとも数年以上続いたことが分かっています。ニューヨーク市を訪れた旅行者数を見てみると、米国外からの旅行者(外国人旅行者)は、テロ前年レベルに回復するまでに4年を要するほどの大きなダメージを受けた一方で、米国内の旅行者(国内旅行者)は、テロが発生した2001年も前年の数字を若干上回り、なんとその後も徐々に数を伸ばしていきました(下表参照)。パトリオティック・ツーリズムに後押しされた国内旅行者の増加は、ニューヨーク市の観光産業、ひいてはニューヨーク市全体の復旧・復興の大きな下支えとなり、その結果が、外国人旅行者の増加、そしてニューヨーク市の国際的イメージの回復にもつながっていきました。外国人旅行者数の推移だけみても、テロ発生から4年後の2005年には過去最高記録を更新し、その後も外国人旅行者数は大幅に増え、2010年には年間970万人が訪れるほどの勢いを見せています。

図1

 このパトリオティック・ツーリズムの事例が示す重要なポイントは、ニューヨーク市を訪れる行為が、他の誰でもない「一人の米国民自身にとって」大きな意味と価値を持っていた点にあります。米国民にとって、ニューヨーク市を訪れる行為は「自分自身の愛国心を証明すること」(=愛国心の高揚を満たすこと)も意味していました。ニューヨーク市を訪れることが、「相手」(ニューヨーク市)のため、「世の中」(米国社会全体)のためだけではなく、「自分」(一人の米国民自身)にとっても意味と価値がある行為だったからこそ、その行為は多くの米国民の共感を呼び、継続的な支援につながるパトリオティック・ツーリズムという大きな動きにつながっていった、と私は考えています。

 日本でも、今回の東日本大震災以降、復興応援ツアーと銘打った旅行商品や、被災地のボランティア活動と各地の観光をセットにしたボランティア・ツアーが数多く見られるようになり、被災地を訪れる環境はかなり充実してきました。また、震災を契機に、被災地を旅行することに対する日本人の意識も大きく変わりはじめており、日経ビジネスオンライン編集部の調査では約2割が「東北地方を旅行して支援したい」と回答しています(下表参照)。私たちのなかに芽生えはじめた「被災地を旅行して支援したい」という気持ちの盛り上がりを、今後さらに多くの人の共感を得る大きな動きに育てていくためには、「相手」(被災地)と「世の中」(日本社会)の支援だけに注目するのではなく、被災地を訪れる行為を「旅行者自身」の意味と価値に引き寄せて捉えることが極めて重要になると思います。

図2

■東日本大震災による被災地を訪れて感じたこと

 では、「私たち自身」が今回の東日本大震災による被災地を訪れることの意味と価値は、どこにあるのでしょうか。

 ちょうど一ヶ月ほど前、私は東北地方のある被災地を訪れ、現地の災害ボランティア活動に参加してきました。被災地に実際に足を向けるに至るまでには、本当に思い悩んだものです。“被災地をこの眼で見たい”という自分の感情は、被災した方々にとって不謹慎なものではないか。どの被災地をどのように訪れることがよいのか。あれこれと思い悩んだすえ、私は現地の社会福祉協議会に連絡を入れ、地元の方々と一緒にボランティア活動に参加する方法を選びました。またそれは、私にとって初めての被災地でのボランティア活動でもありました。

 そこで私が体験したことは、一言で言い尽くせるものではありません。人々の生活のすべてが津波に流された現場に身を置き、河川敷に散らばった家財道具の一つひとつを手に取り、感じたのは、失われた風景のなかを何も変わらずに流れていく時間だけでした。泥のなかに埋もれた、名前も分からない家族の写真を掘り起こしたとき、見てはいけないものを見てしまったような息苦しさを覚えました。あるべき所にあるべきものがない空っぽの風景を前にして、これまで当たり前のように目の前に広がっていた風景は、そこで暮らす一人ひとりの生活の営みの積み重なりであったことに気づきました。

 被災地を訪れ、被災地の現実から目をそらさずに向き合うことで、私は初めて、被災地と自分自身との関係性の中で、東日本大震災のもつ意味を考えはじめることができるようになったと思います。それは、ようやくスタート地点に立てたような、新しい地平線が目の前に広がっていくような感覚です。今は、被災地の問題を自分自身の問題として実感し、自分が東日本大震災以降の社会を生きる「大きな意味での一員」であることをしっかりと受け止める覚悟もできたように感じています。

 「私たち自身」が東日本大震災による被災地を訪れることの意味と価値は、どこにあるのでしょうか。自分自身が被災地を訪れた体験から今改めて考えてみると、被災地を訪れるということは、震災以降の社会と正面から向き合い、この震災を被災地と自分との関係性の中で捉えていくための、自分にとっての一種の通過儀礼であったように思えてきます。被災地を訪れることの意味と価値は人それぞれであり、私の考えに共感する方もそうでない方もいるでしょう。また、私はたまたまボランティア活動に参加しましたが、被災地を訪れるという行為はボランティア活動に限定する必要はなく、復興応援ツアーでもボランティア・ツアーでも、自分が被災地だと考える場所に自分なりの方法で訪れることに意味があると思います。だからこそ私は、多くの人たちにもっと自信と勇気を持って被災地を訪れて、自分の感覚で、自分にとっての東日本大震災を感じ取ってきてもらいたいと思っています。

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