![下呂温泉・水明館に学ぶ―現場でのカイゼンが結ぶ生産性向上― [コラムvol.530]](https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2025/08/gero-column-image.png)
観光業、とりわけ宿泊業は、人手不足や人件費高騰という構造的課題に直面しており、サービス品質の維持と生産性向上を同時に実現することが急務となっている。こうした中、製造業で培われた「トヨタ生産方式(TPS)」をホテル運営へ応用し、6年間で累計約3.4億円の改善効果を上げた下呂温泉・水明館の事例は、具体的でかつ示唆に富んだ解答としてさらに注目に値する。(写真提供:下呂温泉水明館)
サービス工学との接点─科学技術と現場改善の橋渡し
このような現場改善の取り組みが注目される背景には、サービス産業全体の生産性向上に向けた学術的・政策的な流れがある。2008年、産総研に「サービス工学研究センター」が設立されたのは、従来「経験と勘」に頼ってきたサービス業に、科学的・工学的手法による改善の道を拓くことが求められたからである。サービス工学とは、「効率(生産性)と効果(品質)の両立を図りながら、価値創出を支える学際的な工学分野」であり、その設立には、サービス産業を製造業に並ぶ成長エンジンへと育てる国家戦略が背景にあった。
この視点は、理論と現場の橋渡しを志向する産総研の姿勢と一致する。つまり、水明館のカイゼンは、サービス工学の理念「科学的手法を用いた現場改善」の具体例として位置づけられる。サービス需要が増大し、サービス業界に対する社会的期待が高まる今、その基本を丁寧に・地道に実践しながら、さらに前へ進んでいる先進事例である。
トヨタ式カイゼンの導入背景
水明館では、従業員約300名のうち1割が「カイゼンリーダー」として活動を牽引し、2018年から特に本格導入された。モットーは「増員・増床・増設なく、増収・増益を図る」。部署を超えた連携と現場主体の改善により、ムダの排除、作業の標準化、在庫・備品の定位置・定量・定数管理を徹底している。
特徴的なのは、「1歩減らす、1秒減らす」という小さな削減を積み重ねる姿勢だ。歩数や秒数を具体的に計測・金額換算し、成果を可視化して現場への納得感と改善意欲を高めている。現場ヒアリングでは「まだ改善できていないこと」が次々と挙がる。改善が進むほど新たな課題が明らかになり、活動の幅が広がっていく。社長はこうした現場発の提案を正確に把握し、経営判断に反映している。トップの強力な後押しと現場の主体性が好循環を生んでおり、継続的な成果を支えている。
部署をまたぐ改善の積み重ね
改善は多岐にわたる。洋食調理部では朝食バイキングの仕込み量をロット化し、派遣社員教育を動画化。料飲部では配膳動線を「一筆書き化」し、年間150万歩以上を削減した。
客室清掃では「セル化」を導入し、清掃から部屋セットまでを一人で完結。派遣人員削減と残業時間の大幅減を実現した。
施設管理部では点検作業の見直しにより時間と身体負担を改善。購買部では在庫管理と発注方法を見直し、在庫金額を約3分の1に削減。マーケティング部では宿泊プランを再設計し、年間500万円以上の売上増を達成している。
数字が語る成果
カイゼンの効果は金額に如実に表れる。2019年の約4,400万円を皮切りに、年間3,000〜9,000万円規模の改善を継続し、累計では341,780,814円に達する。これは単なるコスト削減ではない。作業動線や手順の見直しによりスタッフの負担を軽減し、接客や演出に時間を充てられるようになり、顧客満足度の向上につながっている。
例えば料飲部では、食器片付けに1回20秒の短縮。朝食350名規模営業で年間約1,000時間分の作業時間を削減した。こうして生まれた時間は、料理説明や声かけといった「顧客接点の質」向上に活用されている。
カイゼンが生み出す「おもてなし時間」
水明館のカイゼンは、効率化のための効率化ではない。削減した歩数や秒数は「お客様と向き合う時間」に置き換えられる。客室清掃のセル化で浮いた時間は館内演出やクレーム対応に、料飲部では盛付けや配膳の省力化により、お客様の表情や会話に目を向ける余裕が生まれている。その結果、単なる「作業の速さ」ではなく、「心を込めた接客の深さ」が実現される。
カイゼン文化の根付かせ方
この取り組みの根底には、「自主性・主体性を尊重する文化」がある。改善案は現場から上がり、リーダーが検証・共有。成果は全社で可視化され、部署横断的に学び合う。改善は「人を減らす」のではなく、「ムダを減らして人の力を活かす」ためにあり、顧客対応やサービス演出へ人員を再配置することを可能にしている。
観光業全体への示唆
水明館の事例は、サービス工学が示す「科学的手法によるサービス改善」の現場応用として貴重なモデルである。特に人手不足が常態化する地方の宿泊施設にとって、カイゼンは経営の持続性を高める現実的なアプローチとなり得る。鍵は「小さな改善を可視化し、共有し、継続すること」。こうした地道な積み重ねが、数億円規模の成果と組織文化の変容につながる。
おわりに
水明館のカイゼンは、サービス業の生産性向上が現場と経営の一体的な取り組みによってこそ達成されることを示している。地道な改善は、やがて顧客体験を変え、経営の安定をもたらす。そしてこれは、サービス産業全体に求められるサービス工学の理念、「科学的に、しかし人と“おもてなし”を中心に据えた改善」の実践例でもある。観光業の現場にとって、この事例は実践的かつ持続可能な変革の道筋を照らす光となるだろう。
【カイゼン事例】バッシング作業時の仕分け
- ■従来ではゴミなどの仕分けが完了しないと次工程が始められず人員の余剰やムダな時間が発生していた。
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改善作業 改善前の所要時間 削減内容 改善後所要時間 削減時間 仕分け作業~次工程 4分30秒 バッシング時に仕分けすることでリードタイム削減 35秒 3分55秒 - 270秒-35秒=235秒 235秒×360日=84,600円
- 1,750円×4.5h×360日=2,835,000円
- 情報提供:下呂温泉水明館
【カイゼン事例】作業工程の見直しと作業工程の標準化。動画による派遣社員への作業確認と教育。
- (写真提供:下呂温泉水明館)
【参照】
- 1)国立研究開発法人 産業技術総合研究所ホームページ「サービス工学研究センター」の設立について」
https://www.aist.go.jp/aist_j/news/pr20080305.html?utm_source=chatgpt.com - 2)サービス工学の概要、藤田武志、2011年