近年、ロングトレイル[1]を特集する雑誌・書籍が増加しています。特設コーナーが設置してある書店も随所で見かけるようになりました。また、国(環境省)も、東日本大震災からの復興支援策として新たに「みちのく潮風トレイル」[2]整備が進めています。この他にも、全国各所でロングトレイル整備が進められており、ブームの様相を呈しています。
かつて、歴史の道や文化の道、自然散策路、○○遊歩道といった名称で全国で「歩く道」が整備されてきました。多くの方に利用され継続的に整備されているものもあれば、残念ながら自然消滅してしまったものも少なくありません。おそらく、単に地図上に道を描いて「○○の道」と命名したり、サインやマップを整備するだけでは、多くの方に利用されるのは難しいと考えられます。同じ轍を踏まないためには、ロングトレイルには何が必要なのでしょうか。
私自身、そうした疑問を持ちながら実際に歩いてみて、また歩いてみたいと思うものもあれば、あまりそう思わない道もありました。そこで、特に魅力的だった4つのロングトレイルを紹介しながら、歩きたくなるロングトレイルとはどのようなものかを考えてみたいと思います。
ロングトレイルの特設コーナー
(2013.5撮影)
1.済州オルレ(韓国・済州島)
(1)概要
済州オルレ(jeju olle)[3]は、韓国の済州島にある全長約420kmのロングトレイルです。韓国のアウトドアブームを背景に、国内外から年間200万人以上の旅行者が歩いています。済州島の世界遺産エリア(城山日出峰など)や、オルムと呼ばれる独特の火山地形、美しい海の景色といった、豊かな自然を楽しめる他、漁村集落や市場等を含むコースもあり、地域の文化や地域住民とふれあうこともできます。管理運営は社団法人済州オルレが行っています。
(2)注目した特徴
<地域の暮らし・文化が感じられる>
海沿いのルートが多いことから、地元の海女さんに出会ったり、漁師さん行きつけのお店で郷土料理を楽しんだりすることができます。また、済州島名産のミカン畑によく出会います。また、一部では市場の真ん中を通るルートも設定されており、済州島の暮らしや文化に触れることができます(写真1~3)。
<分かりやすく魅力的なサインがあり、安心して歩くことができる>
道標を追って歩くのではなく地域の自然や暮らしを見てもらうという考え方から、案内サインの設置は、最小限に留められています。しかし、迷いやすい分岐点には必ずサインがあり、地図がなくとも迷うことはありません。また、サインデザインは韓国内のデザイナーと連携し、地域景観とうまく調和したデザインとなっています(写真4~6)。
<済州オルレに多くの人が関与している>
済州オルレは社団法人済州オルレが事務局となって管理運営がされていますが、その費用は個人、企業からの寄付金が大半を占めているとのことです。寄付は金銭のみならず、オルレのためにできることをやる、という「才の寄付」という仕組みもあります(サインデザインなども才の寄付によるものです)。また、400人のボランティアがメンテナンスに参加し、島内各地域では、オルレを活用した地域イベントが行われています。また、沿線の環境維持のための森林トラスト、廃校活用プロジェクトなど、多くの人がオルレに関与しており、そのことによって幅広い経済効果を生んでいると考えられます。
写真1 オルレ沿線にある地元住民向けの(特段観光客向けに作られたものでない)食堂。済州島のこの地域だけの名物料理とのことである。(2012.8撮影) |
写真2 済州オルレのルート沿線には済州島名産のミカン畑が広がる。この時は、農家の方がミカンをふるまってくれた。(2013.11撮影) |
写真3 コースに含まれている西帰浦(ソギポ)毎日オルレ市場は、済州オルレができたことで閉鎖を免れた。市場全体に香ばしい香りや甘い香りが漂う。(2012.8撮影) |
写真4 起点や終点、眺望ポイント、分岐点などに設置されている馬の形をしたサイン。済州島で飼育されているカンセ(ポニー)を図案化したもので、馬の顔が向いている方向が進行方向を示している。(2012.8撮影) |
写真5 済州オルレのルート上であることを示す赤と青のリボン。樹木や、橋の欄干、民家の生け垣などに取り付けられている。分かれ道で迷わない程度に必要最低限に取り付けられている。(2012.8撮影) |
写真6 方向を示すサイン。青矢印が順行、赤矢印が逆行を示している。黄色は車椅子用の迂回路を示している。ペンキで書かれているものは、分岐点の壁面や樹木などにみられる。(2012.8撮影) |
2.信越トレイル
(1)概要
長野県と新潟県の県境にある、標高約1000mの関田山脈の尾根上に位置する我が国で最初のロングトレイルです。全長約80kmの一本道です。長野、新潟両県をかつて繋いでいた峠を縦断する歴史的な道でもあります。全体がブナを中心とした落葉(夏緑)樹林帯で、森林限界を超えないため眺望ポイントは多くありませんが、森の切れ間から、近景に美しい里山風景、遠景に山々(飯縄山、戸隠連峰、黒姫山他)が一望でき、森の木々や湖などの季節の変化を楽しむことができます。管理運営はNPO法人信越トレイルクラブが行っています。
(2)注目した特徴
<背景にある考え方や思想が感じられる>
信越トレイルは、環境保全を重要視し、樹木の伐採も極力避け、最低限の道標以外は工作物を設置しないようにしているそうです(爪でひっかいたような一本道、とも表現されています、。また、道の整備も機械を入れず、ボランティアが参加しての手作業で行われています。これは、NPO法人信越トレイルクラブの活動趣旨である「人間と自然が共存する里山の機能を理解し」、「健康や環境問題への意識向上」といったことが徹頭徹尾貫かれている表れだと感じました(写真7~10)。こうした姿勢に共感する多くのトレイルを歩く人にとって信越トレイルは「聖地」として認識されているようです。また、本トレイルに大きな影響を与えた作家・加藤則芳さん[4]に憧れる方も多く訪れます。
写真7 信越トレイルの様子。ブナやミズナラを中心とした落葉樹の明るい森の中を歩く。5月末時点では一部に雪も残っている。(2012.5撮影) |
写真8 比較的低山のため基本的に森の中を歩く。しかし、尾根道なので時折美しい眺望が開ける。(2012.5撮影) |
写真9 ボランティアによるトレイル整備の様子。全て手作業。写真は冬期間に崩れた歩道に新たに階段を設置しているところ。(2012.5撮影) |
写真10 信越トレイルの誘導サインと案内サイン。降雪や熊によるひっかき等で破損することが多い。信越トレイルクラブやボランティアが都度修繕している。(2012.5撮影) |
3.黒松内フットパス
(1)概要
北海道黒松内町にある黒松内フットパスは、北海道らしい広大な平野に広がる農村地帯や、自然植生の北限地として知られるブナ林、北海道ならではの酪農地帯等を通るコースが5つ設定されています。管理運営は、町役場と地域住民等による黒松内フットパスボランティアが行っています。
(2)注目した特徴
<地域の人や参加者との出会いがある>
普段は地域の方のお散歩コースとして活用されていますが、定期的にウォークイベントが開催されており、この時には、酪農施設を改修して作った地場農産品を使ったレストランでの昼食、養蚕の見学、体験農園でのトマトもぎ、移住者の運営するカフェでの休憩等を通じて、個性的な方々を訪ねることもできます。終了後は、黒松内フットパスボランティアの方々と参加者による交流会が開催されます。どちらかといえば、スポーツ性よりも、ふれあいや体験が重視されており、参加常連者は、このフットパスの取組は「体育会系フットパスではなく“文化系”フットパス」と表現しています(写真11~14)。
写真11 畜産・酪農が盛んな地域であり、農場の中も許可を得てコースの一部となっている。(2012.9撮影) |
写真12 過去に雪で崩壊した牛舎を改築したレストラン(アンジュ・ド・フロマージュ)。移住者が運営している。(2012.9撮影) |
写真13 かつて盛んであった養蚕の復活を試みている方の家を訪ねてお話を伺う。(2012.9撮影) |
写真14 フットパスイベントでは必ず交流会が開かれる。地元の食材(ラム肉、タラ、トウモロコシ、おにぎり、新鮮な野菜など)がふるまわれる。(2012.9撮影) |
4.サンティアゴ巡礼の道
(1)概要
サンティアゴ巡礼の道(カミーノ・デ・サンティアゴ・Camino de Santiago)はヨーロッパ中から、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでつながる巡礼路です。複数のルートがありますが、最も多くの人が訪れる「フランス人の道」は、フランスのサン・ジャン・ピエド・ポーからピレネー山脈を越えてスぺインのガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの全長約800kmの道のりで、世界遺産として登録されています。巡礼者は、巡礼路上の教会や宿、観光地などを巡りながら、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指します。
(2)注目した特徴
<宿泊施設やサインなどが充実しており、安心して歩くことができる>
随所に巡礼宿(アルベルゲ・Albergue)があり、巡礼者(巡礼手帳所持者)に限り利用できます。5~10ユーロ程度と安価ながら、清潔なベッドとシャワーが使え、基本的に予約も不要です[5](私が歩いた最後の100km区間では約20kmごとに巡礼宿がありました)。ここではお互いに情報交換をしたり、facebook友達になったり、といった交流もあります(写真15)。また、案内サイン(ペンキの矢印、道標など)がほぼ全ての分岐にあるため、ガイドマップを取り出す必要がなく、実際、ガイドマップを持たずに歩いている方も大勢いました(写真16~17)。
<歩いた記念や記録が残る>
巡礼手帳(クレデンシャル・Credential)にためたスタンプと、踏破証明のコンポステーラ(巡礼証明書)が記念品として残ります。こうした「歩いた証拠」が、また歩いてみたいと思わせるツールになっていると思います(写真18、19)。
<歩く人同士の仲間意識が生まれる>
スペイン人、フランス人、イギリス人のほか、南アフリカ、韓国など、世界各国から訪れている人がいます。多くの巡礼者が聖ヤコブのシンボルであるホタテ貝を身につけており、一目で巡礼者であると分かります。そして、「Buen Camino(良い旅を!)」という言葉が合言葉となっており、この一言で心が通じ合えた気持ちになります(写真20)。
写真15 巡礼宿(アルベルゲ・Albergue)の様子。個人スペースはベッドのみで仕切りなどはない。男女相部屋が多いようだ。シーツやまくらカバーは清潔なものが配られる。温水シャワーが使えるところもある。(2013.5撮影) |
写真16 道路や壁面に黄色のペンキで書かれた矢印サイン。この矢印がほぼ全ての分岐点に書かれているため、地図を持っていなくとも道に迷うことはない。(2013.5撮影) |
写真17 ゴールである大聖堂までの距離と方向を示す石塔型のサイン。中央の赤文字はサンティ アゴ・デ・コンポステーラの大聖堂までの距離を示している。ホタテ貝のデザインは聖ヤコブのシンボルを現している。(2013.5撮影) |
写真18 巡礼手帳(クレデンシャル・Credential)にスタンプを押す。教会の他、バル(Bar)、巡礼宿他、特別に認められた方等が押すことができる。踏破証明の条件。(2013.5撮影) |
写真19 100km以上歩いくと(巡礼手帳のスタンプで確認される)すると、踏破証明書を発行してもらえる。(2013.5撮影) |
写真20 多くの巡礼者がバックパックなどにつけているホタテ貝。沿線の土産物屋やバル(Bar)等で買える。(2013.5撮影) |
まとめ
以上、4つのロングトレイルの特徴を見てきましたが、特に強調したいのは「道に込められた哲学が貫かれていること」の重要性です。4つのロングトレイルでは、路線設定や、道づくりの方法、過程、運営方法、サービス、情報提供の仕方にまで貫かれている考え方があり、独自の世界観が作られることで、そこに共鳴する価値観を持つ人たちが多く訪れている、と感じました。歩くこと自体、あるいは長距離を踏破することも重要な動機や目的ではありますが、これに加えて、ロングトレイルのもつ独自の世界観への共感や憧れも重要なのではないかと考えています。
そうした「道に込められた哲学が貫かれていること」を前提として、下記のような点も、歩いてみたくなるロングトレイルを考える上で、大切な視点であると思います。
(1)歩く人をサポートする環境が充実していること
哲学に共感する人が、必ずしもベテラン登山家とは限りません。人口ボリュームが大きい中高年層や、山ガールブーム等をきっかけにトレイルに関心を持った初心者層等にとって、案内サインや宿泊施設などのサポート環境が充実することにより、格段に参加しやすくなります。整備にはお金もかかりますが、例えば、案内サインは、ペンキをつかって道路や壁面に矢印を書くといった方法でも十分に効果的でした(※日本では権利者の許諾が必要です)。宿泊施設の整備は容易ではありませんが、提供するサービスを限定し、管理コストを下げる方法も考えられます(利用者にとって、価格が安いことも魅力です)。
(2)地域の人や歩く人との交流が生まれること
歩くことの目的の1つは「人生を豊かにする」ことにあると思いますが(それゆえ、哲学が大切と考えているのですが)、それには人との出会いも重要ではないでしょうか。歩く人と地域とのふれあいの機会をいつも用意するのは大変ですが、ウォークイベントなどを定期的に開催する、といったことでも良いのではないかと思います。また、歩く人同士の交流を促進する上では、合言葉になるような挨拶や、共通のシンボルなどを作ることも効果的ではないかと考えられます。
(3)トレイルを歩くことで社会に貢献できること
トレイルの哲学への共感が重要であるならば、その哲学に沿った形での社会貢献(例えば自然環境保全への協力や、地域振興への協力等)ができる機会が設定されていることで、より、その道を歩くことへの動機づけが高められるのではないかと考えられます。
(4)歩いた記念や記録が残ること
哲学への共感は、仲間と共有したり、経験を振り返ることによって高まると考えられます。そのためには、歩いた記念や記録を形に残すことが効果的かもしれません。スタンプラリーのような方法で、訪れた場所の記録を台帳(スタンプラリー、御朱印帳など)に残す方法や、踏破証明(証明書の発行、踏破記念品の販売等)などが考えられます。
(参考)本コラムで取り上げたトレイルの概要
信越トレイル | 黒松内フットパス | 済州オルレ | サンティアゴ巡礼の道(フランス人の道) | ||
コース | コース総延長 | 80km | 36km | 421.7km | 780.5km |
コース・セクション | 6 | 5 | 26(サブコース含) | 1 | |
道の状況 | ほぼ山道を歩く | 歩道・車道のほか、あぜ道なども歩く | 歩道・車道、農道、山道等 | 歩道、車道、農道、山道等 | |
見どころ | 自然 | ◎ | ○ | ○ | |
農山漁村 | ◎ | ◎ | ◎ | ||
都市 | ○ | ○ | |||
案内情報 | 現場案内標識 | ○ (全体案内図、ルートと距離を示す道標) |
○ (全体案内図、ルートと距離を示す道標) |
○ (カンセとリボンとペンキで書かれた矢印) |
○ (道標とペンキで書かれた矢印) |
公式ガイドマップ | ○ (有償) |
○ (有償) |
○ (無償) |
○ (日本の「友の会」が発行するガイドブック・有償) |
|
ルート上の宿泊・休憩 | 宿 | △ (テントサイト、下山してクラブ加盟宿泊施設を利用) |
○ (町内公共施設) |
○ (ゲストハウス) |
○ (巡礼者向け宿泊施設・アルベルゲ) |
飲食 | ○ (道の駅、飲食店、カフェ) |
○ (飲食店多数) |
○ (バル) |
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その他 | 公式ガイド | ○ 信越トレイルクラブ登録ガイド |
○ オルレガイド(旅の道連れ) |
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踏破記念品 | ○ 信越トレイル全線踏破証 |
○ 完走確認シール(イ・ワルジョン画伯の絵入り) |
○ 巡礼証明書(コンポステーラ)、巡礼手帳(クレデンシャル)のスタンプ |
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主な問い合わせ先 | NPO法人信越トレイルクラブ | 黒松内町フットパスボランティア事務局 | 社団法人済州オルレ | 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会 |
<注>
[1]ロングトレイルを「歩くための長く続く道」と仮に定義し、長距離自然歩道、四国遍路、フットパス(footpass)、オルレ(olle)等を含めることとする。
[2]詳しくは、みちのく潮風トレイル公式ホームページを参照されたい。 http://www.tohoku-trail.go.jp/outline
[3]オルレとは、大通りから、各家庭の門まで続く狭い路地の意味(済州島の方言)。発音が韓国語の済州島に「来ないか?(올래?)」と似ており、また、スペイン語の「ole(いいぞ、の意味)」との掛け詞にもなっている。
[4]アパラチアントレイル3500kmを踏破したバックパッカーで信越トレイルプロジェクトの中心メンバー(2013年4月逝去)。
[5]利用には教会等で入手できる巡礼手帳(クレデンシャル・Credential)の提示が必要。
2014.06.20 記事公開
2014.06.27 まとめ部分の文章を更新