![市場志向の力点-まちづくりと観光事業⑰ [コラムvol.522]](https://www.jtb.or.jp/wp-content/uploads/2019/06/397_image.jpg)
住民の暮らしや環境と観光利用との調和が問われ、誘導と規制を効果的に組み合わせて対策を検討することが求められる場面が多くなっている。そのような現代だからこそ、市場や顧客に正面から向き合い、ニーズに応える具体的なアクションが一層重要と考える。今回のコラムでは、尾瀬国立公園の一例に、市場志向の戦略と合意について少しお話したい。
自然と調和した利用-需要調整を図る際の視点
福島県、栃木県、群馬県、新潟県の4県にまたがる尾瀬国立公園は、日本最大の山岳湿原である尾瀬ヶ原の湿原と尾瀬沼〔写真1〕の壮大な自然の美しさで知られている。総延長65kmに及ぶ木道は、尾瀬を連想させる風景の一つにもなっている。また、尾瀬は日本における自然保護運動の発祥地として象徴的な地域でもある(1)。尾瀬は、これまで自然保護の観点から、過剰利用(オーバーユース)の問題に長年取り組んできた。尾瀬では、1996年に尾瀬の入山者数が過去最高の64万人〔図1〕に達したことを受けて、入山適正化に向けて、適正利用のあり方の検討を行った。検討結果として、入山総量規制は今後の課題とし、入山者の集中に着目し、これを緩和する手段(抑制と分散)を摂ることが提案された。具体的には、1日1万人を目安とする特定日における入山抑制が提言され、その後、マイカー規制など各種対策が行われることになった。2000年に入ってからは収容力調査も行われた3)。
その後、2007年に、尾瀬は日光国立公園から独立し、尾瀬国立公園が新たに誕生した。尾瀬では、「尾瀬ビジョン」(現在は「新・尾瀬ビジョン」)にもとづく協働型管理運営が行われている。現在、尾瀬の自然を享受できるのは、先人たちの努力の賜物であり、現在もその自然を守り、利用環境を維持管理する人々の尽力の結果である。

ただ、その後、尾瀬を含む日本国内の観光地の抑制の取り組みをデマーケティング(2)という観点から研究した小原(2015)は、「本稿では、いわゆる規制をデマーケティングとして扱ったが、規制は本来の意味でのデマーケティングではない」と述べ、マーケティング的発想の需要調整ではなく規制が中心となっていること、顧客志向で需要調整を図る視点が十分でないことを指摘した。顧客との呼応の違いに着目したものとも見える。
さて、その後の尾瀬国立公園の入山者数は、高速バスツアーの廃止など外的な環境変化の影響もあるが、減少傾向にあった〔図1〕。
出典:参考文献1)および2)より作成
市場志向の行動へ
新型コロナウイルス感染症の発生に伴う環境の変化により、入山者数が大幅に減少した結果、尾瀬では地域が担ってきた利用施設の維持管理が一部で困難となる事態が生じた。このままでは尾瀬全体の管理水準が著しく低下し、適正な利用環境を提供することが難しくなることが懸念された。そこで、尾瀬は、利用状況を改めて調査し、課題を分析・整理した上で、その課題解決を試みた。こうして2024年に策定されたのが、「尾瀬国立公園利用アクションプラン」(以下、利用AP)である。利用APは、3年にわたり多種の利用者調査を積み重ね、その結果をもとに検討・検証を行い策定されたものである。
利用APの特徴の一つは、楽しむ活動と守る活動の相乗効果を図る戦略(通称:尾瀬ファンベース戦略)を実現するために、利用者をビギナー、リピーター、ファンの3つの層に分け、それぞれに応じた取り組みやプログラムを実施している点である。各プログラムにおいては、これら3つの利用者層からさらに具体的なターゲットを定めて、取組を試行実施しながら作成が行われた。
では、尾瀬はなぜこのような戦略を採ったのか。
出典:参考文献5)のp.44,46より作成
尾瀬は、利用者(顧客)のリピート率が高く、満足度も再来訪意向も高い水準にあることが、これまでの調査や策定期間中に実施された調査で明らかになっている(利用AP参照)(3)。しかし、コロナ禍前から利用者数はずっと減少傾向にある。全国を対象とした「JTBF旅行意識調査」結果〔表1〕によると、市場全体での尾瀬の認知度、来訪経験率、(再)来訪意向は、約20年間で見ると下がっており、年代別にみると、数値が時間の経過とともにスライドしているのが一部で確認できる。また、他地域との比較として、全国の34公園と比べると、尾瀬は利用者の年齢層が高いことも確認される〔表2〕。利用者の高齢化が他の公園より進んでおり、このまま10年経過すると、利用者数のさらなる減少が見込まれる。それを回避するために、潜在層にもアプローチし新規来訪者を確保する取組が必須であった。
表1 尾瀬の認知度、来訪経験率、(再)来訪意向

出典:「JTBF旅行意識調査」((公財)日本交通公社)より作成
表2 年間国内利用者数(年代別)

出典:参考文献5)のp.11より作成
こうした利用分析やマーケティングのSTPの重要性は、今さら言うまでもないことだが、尾瀬で耳にした印象深い言葉をここでは伝えておきたい。
「尾瀬はこれまでも利用者調査を行ってきたものの、それは 自然保護をするための利用者調査で、利用者ニーズに応えるための利用者調査でなかったのではないか」(下線は筆者)。
これはコロナ禍に、長年、現地で自然保護と利用に携わってきた関係者が、自戒を込めて語った言葉である。
各地域において、「尾瀬ビジョン」のような地域計画の枠組みの中で、観光の役割を総合的見地から再確認することや、分野間調整等を図ることは重要である。しかしながら、それと同時に、市場志向(4)の戦略とその合意形成を観光計画の中核に据えること 12)が観光で地域存続を図る上では求められる。昨今においては、オーバーツーリズムや観光が与える、住民の暮らしや環境など内側に掛かる負荷軽減を目的に、誘導と規制を効果的に組み合わせた抑制策を検討する場面も増えてきている。ただ、その際にも、そして、いずれかは待ち受ける外側(需要側)の変化に対応するためにも、市場、顧客に常に正面から向き合い、ニーズに応える具体的なアクションにつなげていくことが重要、と筆者は考える。
【注】
- (1) (公財)日本自然保護協会の前身である「尾瀬保存期成同盟」は1949年に設立された。
- (2) デマーケティングとは、Kotler,P.とlevy,S.j.によって1971年に発表された需要を抑制するマーケティング手法で、「一般的デマーケティング」「選択的デマーケティング」「表面的デマーケティング」「無意識のデマーケティング」の4つ分けられる。小原(2015)によると、コトラーが観光地のデマーケティングの例としてバリ島の事例をあげていたことが紹介されている。
- (3) 参考文献8)の調査結果と比較すると、例えば、リピート率は、尾瀬が高いとは言えない。
- (4) 「市場志向」は、マーケティングを実施する上で重視される志向の一つで、①顧客志向、②競争志向、③職能横断的統合志向の3つに区分される。類似した概念である「顧客主導」との違いは、潜在的な顧客にも能動的に提案し、新たな価値を創造することに主眼を置くことにある。
- 出典:恩蔵直人(2010):市場志向 [market orientation],
時事用語事典 https://imidas.jp/genre/detail/A-125-0062.html
【参考資料】
- 1) 環境省関東地方環境事務所:報道発表資料 2024年 尾瀬国立公園の入山者数について
https://kanto.env.go.jp/press_00099.html - 2) (公財)尾瀬保護財団:尾瀬の入山者数推移
https://oze-fnd.or.jp/oza/a-sg/nbp/ - 3) (財)尾瀬保護財団(2005):利用体験から見た尾瀬の収容力に関する総合報告書
- 4) (公財)尾瀬保護財団(2024):尾瀬保護レポート 令和5年度版
https://oze-fnd.or.jp/wp4/wp-content/uploads/2024/03/c0e2a128b444b3559cf8824550c4162a.pdf - 5) 尾瀬国立公園利用アクションプラン検討小委員会(2024):尾瀬国立公園利用アクションプラン
https://kanto.env.go.jp/content/000209146.pdf - 6) 環境省 尾瀬国立公園 各種資料 尾瀬国立公園における利用の適正化 尾瀬国立公園協議会
https://www.env.go.jp/park/oze/data/council.html - 7) 小原満春(2015):デスティネーション・デマーケティングの類型に関する考察~尾瀬国立公園の事例~, 産業総合研究, vol.23, pp.29-46
- 8) 観光庁観光地域振興部 観光地域振興課(2010):観光地の魅力向上に向けた評価手法調査事業報告書
- 9) 佐藤尚之(2018):ファンベース─支持され、愛され、長く売れ続けるために, 筑摩書房
- 10) 芹澤連(2022):“未”顧客理解 なぜ、「買ってくれる人=顧客」しか見ないのか?, 日経BP
- 11) 本田哲也(2022):パーセプション 市場をつくる新発想, 日経BP
- 12) 後藤健太郎(2019):7.大分県由布市, 観光学全集, 第8巻, pp.90-101