まちづくりと観光事業の間にある壁⑫-本来の価値と本当に大切なもの [コラムvol.440]

 新型コロナ感染症の影響が続いたこの一年。急激な環境変化の中で、いかに観光産業の存続を図るか。ニューノーマルな時代の観光を模索し、各地で新たなカタチが具体的に提案された一年でもあった。それは、単に今一時を凌ぐということに留まらず、それ以前から観光が抱えていた課題にも向き合い、コロナを契機に持続可能な観光へとより大きく舵を切る。そんな一年であったと見ている(現在も続く)。

 さて、今回のコラムでは、そうした動きの中で、お客さんの数が例年より少ないこの時に、観光地としてだけでなく‟地域”として持つ本来の価値にも目を向ける意識を幾ばくか持つための視点を提示しておきたい。以下で取り上げる事例は、必ずしもコロナ禍のものではないため、その前提が現在と異なる部分もある。しかし、なぜ今このテーマを取り上げるか。今という時を考える参考の一つとなると思うからだ。つまり、一部の地域で表面化した「オーバーツーリズム」への対応状況、そして、コロナ収束後の観光旅行需要の反動なども見越し、「ポスト・オーバーツーリズム」「ポスト・コロナ」時代に中心に据えるべき‟地域の暮らし“とは何か、を再考する一時(いっとき)とするためだ。

本来の価値を見つめ直す

 ここでは、以前にも取り上げた近江八幡(滋賀県)のまちづくり(コラムVol.316,376,420)を別の側面から取り上げる。近江八幡では、1970年代に本格的に八幡堀復元運動を始め、その後、近江八幡のまち全体の方向付けを行い、まちづくりを進めた地域である。同地域は「観光目的でない」と観光から一定の距離を置いてまちづくりに取り組んだ点で特異であり、1970年代後半には、以下のような考えを持つ人物がいたことが確認される。

「好むと好まざるにかかわらずこの運動が成功していった場合、町並が観光化されることは避けて通れるものではないだろうと言うことなのだ。何故なら町並で象徴される郷土文化が内外で再発見されることにより、その価値を求めて人が集まり、さらにその集まりのムードに乗って本来の価値を無視した形で観光活動が展開されるのであろうことは十分予想されているからである。そして、そうなった時、誰もその大きな流れをくい止めることは出来なくなるであろうことも自覚されているからだ。だからこそ、観光という大きなエネルギーの渦が発生しないうちに、本来の価値を確かな眼で見つめ直しておこうと言うものである。」(※1)

 観光旅行需要が回復し、訪れる人々を絶え間なく迎える日常が戻った時、地域の人々は日々の生業に追われていることであろう。観光客が再び増加する時期には、観光対象を守り育てるというよりは、集まる人々を対象にして稼ぐ産業が増加し、地域が変容して地域本来の価値が見えにくくなることが将来起こり得るかもしれない。いざ走り出すと、その勢いで針を戻せなくなることも少なくない。だからこそ、一定の”静けさ”や‟落ち着き”のある今を大切にしてほしい。

 近江八幡では、当時敢えて観光を遠ざけ、まちが宿す本来の機能-近江商人を輩出したまち、教育のまちであることに立ち返り、知的再生産のまちとして「商業博物館構想」を掲げてまちづくりを進めた。物見遊山ではなく学びに来る人-観光客ではない客層-が来訪することで、観光客目当ての喫茶店や土産物店などが乱立するのを防ぐことができるとも考えていた(※2)。こうした一連の積み重ねが、現在の近江八幡の観光のスタンスや、まちの落ち着き、品格にも繋がっていると筆者は考えている。

本当に大切なものを見極める

 ただ、地域本来の価値を見つめ直したからと言って、観光の大きなエネルギーの渦を止められるかは別の話である。以前のオーバーツーリズムの状況を見れば、行き過ぎた観光を抑制しコントールするのは、容易ではない。しかし、地域がどのような行動を採るか、その基となる価値基準、判断基準は、地域本来の価値が損なわれていないかであり、そのためには、地域にとって「本当に大切なものは何か」が予め見えていないといけない。そしてそれは、観光客の関心を惹くものか否か、訪れるに値する価値があるものか否か、を前提とした見方のみで自分の地域を見つめ直しても十分に見極められるものではない。

 外の目線、観光客の目線を介して新たな地域の魅力・素材や切り口が見つかり、地域の再発見につながることはある。ただし、まちづくりに立ち返り、再発見した魅力や課題も含めて「この地域でどのように生きていくか、どう生きたいか」を問う議論、地域でのプロセスを経なければ、大切か否かを十分に見極められないと考える。「外の目線で新たな魅力の再発見→では、それをどう観光客に提供するか」と観光の枠組みの中で収めて歩むだけでは、不十分である。

 以前に取り上げた由布院(大分県)を事例として挙げよう。地域の暮らしそのものが観光の中身と捉えまちづくりを行ってきた地域である。1970年前後にまちづくりをはじめた当時の町造りの雑誌『花水樹』では、外の人が由布院の美しさを讃える中で、由布院の魅力の正体が何かを地域の人自身が知った上で、それらを守り育ててゆくべきとしつつ、「私たちがどんな家に住み、どんな食べものを愉しみ、どんな樹の繁る路を歩き、どんな産業で生許を立てるべきか」を考えることが唯一の町造りの方法とする(※3)。ここには前後も含めて「観光」という文字は一つも登場しない。別の言葉では、生き方にまで明確に踏み込んでいる。

「由布院の町がどんな産業を持ち、どんな文化を形成しうるかということは、すなわち私たち由布院に住む者が、あなたが、私が、どんな産業を望み、どんな家に住みたいと思い、どんな食べ物を美味しいと感じ、どんな生き方を好ましいと考えるか、要するに私たちがどのように生きるかにかかっている」(※4)

 その後、由布院を訪れる観光客が増加した際にも、暮らしと観光の適切な距離感を測ろうと模索する動きの根底には、暮らしに軸足を置いてまちづくりを行ってきた積み重ねがあるからであろう(※5)。暮らしを見つめ直すことは、生き方を考えることである。コロナ禍に話を移すと、由布院では、ある動画作成を通じて、由布岳の麓に広がるまちや暮らしが、過去、そして現在も「生活の原点」であることは間違いないと考え直したという。地域の暮らし―どのような地域であるかをきちんと表現するストーリーが重要とした上で、次のような発言が確認される。

「地域の強みが何なのか、観光に限らずこのまちにとって何が大切かを含めてきっちり認識しないと表現できないし、ブレてしまうと思います。」(※6)

 「観光に限らず」、この視点が筆者は、地域で観光を進める上で、非常に重要だと思っている。筆者自身は、 観光の議論を進めることが求められることから「観光ありき」で話をすることが多いが、是非地域には、観光に留まらない視点、視野を持ち、自分たちにとって「本当に大切なもの」を見極めてほしい。

 なお、そうした大切なものを守って生きていくためには、「どのような不便を地域が享受するか、甘受するか」もあわせて考えていく必要があり、その点は、また別の機会に述べるとしたい。

※1:近江八幡青年会議所(1979):「町並保存と観光開発」,『ひろば』,p.2
※2:かわばたごへえ(1991):『まちづくりはノーサイド』,p.104
※3:中谷健太郎(1970):「町造り雑誌「花水樹」を発刊する理由」,『花水樹』70年 創刊号、由布院の自然を守る会,p.10
※4:前掲書,p.9
※5:後藤健太郎(2020):「第9章 由布院-生活型観光地が模索する生活と観光の距離感」,『ポスト・オーバーツーリズム』,阿部大輔編著,学芸出版社,pp.171-192
※6:生野敬嗣(2020):「自然災害を乗り越えてきた、由布院の経験とチャレンジ」,『2020年度観光地経営講座講義録』,p.38

【参考資料】

1)西村幸夫(2020):「巻頭言 足元からの再興」,『観光文化』247号(https://www.jtb.or.jp/tourism-culture/bunka247/247-01/
2)大分合同新聞:「忘れていた”根っこ” 観光客増加、量で自慢しても 旅館「亀の井別荘」の相談役 中谷健太郎さん(コロナ禍に想う 雑談 おおいた)」,2020年4月24日
3)西日本新聞:「聞きたい新型コロナ にぎわいが消え、気づいた「原点」 これからも人に魅力がある地に 由布院を長くけん引してきた観光カリスマ 溝口薫平さん」,2020年5月18日