まちづくりと観光事業の間にある壁④ [コラムvol.272]

 今回のコラムでは“公平・平等”、これを扱うこととしたいと思います。

 「観光」をまちづくりの一手段として取り入れ、地域一体となって住民自らが「観光」に取り組むことで、地域社会には様々な効果が見られるようになりました。観光客と住民が直接触れ合うことで、活力を取り戻して元気になる地域住民の姿を目の当たりにすると、「観光」は社会に貢献できる、まだまだ「観光」には可能性がある、そう思ったりします。

 その一方で、多くの地域、多くの人々が観光に関わるようになったことで、従来のまちづくりの文脈では乗り越えられない壁がまだ存在することも明らかになってきました。

 私はその一つに、人々の集合体として存在する地域が、地域と市場との間において“公平・平等”をどのように捉えてどのような行動に移ることができるか、ここにまだ壁があると感じています。

「観光」で地域を存続する

 近年、新たに観光に取り組み始めた地域は、地域がそして住民がそれ自体で生計を立てていることは少なく、地域外から人が来てくれることを嬉しく感じて観光を行っている、そうした地域の光景を目にします。これはある意味でまちづくりの成果でしょうし、観光という手段を地域に導入する意義でもあるかと思います。

 しかし、観光客の消費活動が人々の生計、地域経済を大きく支えるようになってくると、少しずつ様相が変わってきます。「観光」自体が地域にとって無くてはならない手段に変わっていくのです(1)。「観光」で事業、企業を存続させる、更には「観光」で地域を存続させる、という意識が徐々に芽生えてきたりします。

 それは、「まちづくり」の延長線として、これまで“地域”における観光を捉えて行動していた段階から、“市場”をも射程範囲に捉えるようになり、“地域”と“市場”との間で観光を捉え行動する段階に移行することを意味します。

 そして、その移行過程においては、地域の内に閉じた「公平・平等」という配慮意識を越えて、外を意識した、言わば“戦略的不平等”の行動を、地域として市場側に仕掛けられるか、これが重要となってきます。市場は、地域住民が見ている目線、視野とは異なるからです。

“戦略的不平等”の市場訴求

 さて、この“戦略的不平等”という言葉。LLC 場所文化機構代表の後藤健一氏が、平成24年に開催された三重県の会議の中で使用されたようです1)。行政の平等的に支援に対して言及するものでありましたが、このことは、地域と市場との間で成立する「観光」を考えるときに大切な視点です。

 山形新聞の記事によると、平成24年に、式年遷宮を迎えた三重県伊勢神宮では、「“戦略的不平等”な情報発信が必要」との考えのもと、具体的には、「知名度の高い伊勢神宮を優先的にポスターなどに採用し、消費者の目を引く」2)戦略に売って出たとそうです(御遷宮対策事務局奥野事務局長)。「公的機関が音頭を取る場合、全エリアに配慮した結果、盛り込む素材が多過ぎて印象が薄くなるケースがままある。「伊勢神宮を入り口に、来てくれた観光客が三重県各地を回ってくれたらいい」」2)との考えからこうした観光情報発信がなされたようです。

 同一市場に対して複数の観光地が同時にアプローチしているわけですから、地域に多様な資源があっても、それだけでは市場での顕在化は難しいでしょう(眠っていた資源が一級品であるなら話は別ですが)。

本当に求められるのは短観ではなく、“大局的”視点

 更に、別の具体事例から考えてみましょう。大分県にある由布院温泉。1970年代は寒村だった当地域は、現在では、全国有数の温泉地なりました。まちづくりが活動の根幹にありましたが、対市場に向けた行動も注目に値します。観光カリスマ溝口氏によると、溝口氏は、由布院を視察する団体やテレビ、雑誌などの取材を受けるにあたっては、躊躇することなく「亀の井別荘」を案内したとのことです。

 「『亀の井別荘』は、由布院を代表する旅館です。自然との調和を考えた『亀の井別荘』は、由布院をイメージさせるには最高の旅館なのです。(中略)それが、雑誌やテレビで、全国に紹介されます。すると、由布院はいいところのようだ。ちょっと出かけてみようかということになるのです。それでいいのです。」3)

 また、パンフレット作成においては、キリシタン文化など歴史的事実をもう一度表に出して光を当てるとともに、「亀の井別荘」をはじめとして由布院の代表的な旅館やホテルの写真を思い切って掲載するなど、“由布院の顔”となるものを打ち出していったらしいです。

 上記のような行動に対しては、地域では複数の利害関係者から「平等に扱っていない」、「なぜあの施設だけが」という声が出ることが予想されます。しかし、由布院で溝口氏は「大局的な目でものごとを見つめ、皆が認めた名所旧跡をつくっていかなくてはと」4)の想いで取り組まれたそうです。少なからずこのことは、由布院の市場における良好なイメージ構築を早めることに寄与したのではないかと思われます。約40年間に亘る取り組みを見つめて思うのは、短観では乗り越えられない、大局的視点のもとでの戦略と、意志を持って取り組みを続けることが地域と市場との間においては重要であり、これから観光で生きていくという地域にはそれが求められているのではないかと思います。

「公平・平等」の前に議論すべきこと

 さて、上記でお話ししました「地域と市場との間で観光をどう捉え行動するのか」の上に、実はもっと大切な議論が存在します。それは、市場を視野に入れ、今後どの市場を狙うか、どのくらいの誘客を目指すか、どうアローチするのかの前に、地域においては、これまでの観光を振り返りつつ、

 「地域として何のために、誰のために観光に取り組むのか」

*これまで観光に取り組んで、観光開発・観光事業をして、あるいは外部による観光開発を受けて、地域住民は本当に幸せだったのか、観光を通じて幸せになったのか?

*観光事業者先行の観光から地域の観光へと、どの程度針を戻すのか、戻せるのか?

 「今後どのような観光をしていくのか」

*自分たちの地域の状況、地域の資源、環境を見つめ、どのような観光であれば、地域と観光が共に歩めるのか?

 「どのくらいの位置づけで観光をするのか。どこまでの観光に留めるのか」

*観光を通じてまちづくりとしての効果を得られれば良いのか、地域の存続を図るところまで視野に入れるのか?市場志向をどの程度地域に入れるのか?

 観光に取り組むことが自明である観光地においても、改めてこうした議論を“起点”に地域で合意形成を図っていくこが重要だと私は考えます。そこを起点に議論が始められないと、単なるテクニカルな部分の議論、ある分野の技術の応用、援用に話が始終してしまい、課題の本質を見誤ることにもつながりかねないと思うからです。

 さて、最後に少し話はずれますが、近年の「持続可能な観光(のあり方)」を展開する動きと本コラムで扱った「「観光」で地域を存続する、持続させる」ことは同一次元の話ではないようです。機会があれば、この点についても、地域の現場で見たことを踏まえてお話出来ればと思います。後者については、前者以上に模索中です。

(1) ここでは、観光の代替手段が簡単には見つからないことから観光で進むしかないという状況も含みます。

引用・参考文献

1) 平成24年度「みえ産業振興戦略」アドバイザリーボード 議事概要 平成25年2月23日(後藤健一委員(LLC 場所文化機構 代表)発言)、p.5

http://www.pref.mie.lg.jp/sshuseki/hp/senryaku/

2) 山形新聞(2014):第10部・全国とどう戦うか[1] 激化する地域間競争、2014年12月20日

http://yamagata-np.jp/feature/kankohukko/kj_2014122000498.php

3) 木谷文弘(2004):「由布院の小さな奇跡」新潮新書、p.28

4) 溝口薫平(2007):「第八章 継続性のある地域づくりと地域連携で住む人・訪れる人にやさしい「生活型観光地」~大分県・湯布院~」『観光カリスマが教える地域再生のノウハウ』国土交通省総合政策局観光資源課・監修、国政情報センター、p.176

5) 後藤健太郎(2013):「事例10百年先を見越した観光地経営の実践(大分県由布院温泉)」、『観光地経営の視点と実践』、(公財)日本交通公社、丸善出版、2013年、pp.204-219