まちづくりと観光事業の間にある壁⑤ [コラムvol.296]

2016.03.28

観光政策研究部 研究員 後藤健太郎

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 定着したと思える用語「観光まちづくり」を敢えて分けるのは、もう一度その間にある違いや観光まちづくりに取り組んできた各地域の現状と課題を踏まえて、今後の取り組みに向けた要点を整理することが重要だと考えるからです。

 このような想いから始めた本コラム。今回で5回目となりました。今回は、ブレイクタイムとして少し話題を広げて「住んでよし、訪れてよし」を少し取り上げてみたいと思います。「観光まちづくり」とともにここ10年で各地で聞かれるようになったこの言葉。考え方が浸透してきていることは非常に好ましい状況と見ていますが、どちらかというと、地域が自らの実践の結果を通じて体得したというよりは、他の地域の取り組みや他者から聞いて考えを取り入れた、という流れの地域も幾つか見受けられます。

 「住んでよし、訪れてよし」から気づきを得たということなのだと思いますが、そうした中で大切なのは、それぞれが「これまでの自分たちの地域は、地域での活動はどのようなものであったか」「その活動には人々のどのような想いがあり、どのような経緯で取り組んできたか」という自分たちの地域の文脈をもっと紐解いて、掘り下げることだと思っています。別の言葉で言うと、「住んでよし、訪れてよし」を自分たちの文脈に落とし込んで欲しいということです。

「住んで良し、訪れて良し」ではない?

 こうしたことを書く私も、実は標語のように違和感なくこの言葉を使用していた一人です。慣れ過ぎていたのかもしれません。しかし、実践の中から何十年と時間をかけて自らこの考えを生み出してきた地域や、自分たちの文脈を丁寧に捉える地域の人々に接する中で、私自身、地域の文脈、地域独自の言葉などを今まで以上に大切に扱うようになりました。

 ここからは、北海道釧路市にある阿寒湖温泉で地域のある人から伺った話を簡単に紹介したいと思います。
 北海道阿寒湖温泉に私が本格的に関わったのは、2012年でした。地域住民の方、外部有識者の方と意見交換を行い、土地利用の方向性をとりまとめるという業務で、観光客の利用と住民の利用の双方を想定した意見を非常にたくさんいただきました。それはそれで少しずつ進んでいったのですが、ある会議の終了後に設定された場で、ある一人の住民の方がこんな発言を私にされました。「阿寒湖は、「住んで良し、訪れて良し」ではないんだな。」と。

 結論から先に言うと、「住んで良し」の方向に地域の構造を転換しなければという趣旨でした。

稼ぐ場としてのまちの性格、一側面

 阿寒湖温泉は、現在でこそ、観光地として認識されていますが、もとから観光地ではありません。もともとは、先住民族であるアイヌの人々が利用していた地域であり、明治期になってからは、造材の場として栄えました。全国各地から儲ける、稼ぐことを目的に人々、企業が移入し、発展し形成されたまちです。例えば、林業で有名な木曽からも北海道阿寒湖へ出稼ぎにきていたようです。それだけ稼ぎも良く仕事があったようです。昭和9年に国立公園第二次指定を受けていますが、その頃には、既に木を伐採し過ぎて伐れない状態であったと聞き伝えられています。

 現在の観光地としての姿形は、昭和40年代以降に作られたものです。産炭地振興資金の借入により建物が建て替えられました。旧阿寒町にあった雄別炭鉱が廃抗になり、異なる形(旅館経営により、そこで働いていた人々の雇用の場を確保)で地域振興できるようにと、観光客だけではなく、担い手受け入れの側面も持って建設され出来たのが現在のまちです。

 歴史の一側面しかこの場ではお伝えできませんが、阿寒湖は、外から来訪しお金を儲ける、生計を立てる場として発展した歴史的経緯があり、生活に満足するために、わざわざここに来たというわけではないようです。他所から来た人たちにとって阿寒湖は、特定の愛着ある地域ではなく、阿寒湖という地域、環境自体に関心があったわけではなかったという一歴史的側面。外から出稼ぎに来て一時的な仮住まいをし、いずれかは帰る、次の転地へ向かう、そんな場所としての一側面を阿寒湖はかつて持ち合わせていたようです。(勿論全ての人、企業がそうではなく、そのまま今日まで住み続けた人、企業があるから現在のまちがあります。)

 そんな歴史的経緯で形成されたまちであると深く把握しているまちの人から見ると、「住んで良し」を“入口”に地域を語ることに違和感があったのだと思われます。他の地域と同じように「住んで良し」から始まるのではないと。

住民にとって代替性のない地域へ

 さて、稼ぐ場として形成されてきた歴史的経緯はありますが、現在のまちに関わって見ると、少し様相が異なります。(一部、一般論も含みますが)人々が長く一つの地域で生活するようになると、まちの性格は異なる色合いを帯びてきます。移り住んできた世代や大人にとっては単に稼ぐ場であっても、そこで家族ができたり、子供が生まれたり、同じ地域に住む、働く人々とのつながりが生まれたりすると、一時的な仮住まいであった地域が、特定の想い入れのある地域へと変化していきます。その地域、環境との接点も多くなり、働く、稼ぐ以外の活動やそれに伴う産業が生まれ、地域の文化が形成されていきます。

 現実的には、稼げなくなったら、仕事を求めて他の地域へ移動ということも、生活のためには避けられない場合も多々ありますが、稼ぐ場としての色合いのみが強いままですと、産業の盛衰に呼応するように、まちからすぐに人が離れていくことにもなるのでしょう。

 時代により人々の地域、地域、環境に接する機会、頻度は変化しますが、それらとの接点をつくること。地域の文脈を踏まえつつ、地域を「住んでよし、訪れてよし」に結び変えていくこと。まちづくり、地域振興が地域には重要のようです。

 観光地あるいは地域が観光に力を入れて取り組む程、産業的側面が際立ってきますので、敢えて基軸をどこに置くか。そんなことを考える際の参考にもなれば幸いです。

参考

1) NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構
2) 阿寒湖温泉旅館組合「阿寒湖温泉について」

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