まちづくりと観光事業の間にある壁⑧-「“人”へのまなざし」[コラムvol.358]

 数年前、ある地域でこんな質問を受けたことがあります。

 「後藤さん、何か参考になる地域の取り組みはありますか。」

 前後の話の流れはここでは書き切れません。また、質問がこのような内容であったかは、正確には覚えていないです。ただ、その後の会話が非常に強く印象に残っています。

取り組む“人”の姿

 観光の専門家として、これまでこうした質問は何度か受けたこともあります。何も知らない地域であれば話は別ですが、基本的には、その地域が抱える課題やその地域が目指す将来像を理解し、それに適した他の地域の取り組みなどを選び、参考となるポイントと合わせてお伝えするように努めています。観光振興や観光地に関する制度、仕組み・ルール、計画、体制、財源など質問内容は地域ぞれぞれで、なるべく私自身が関わった、あるいは一端に触れており、何がポイントになったか、質的な違いは何かなど深く説明できる取り組みを紹介することを意識しています。

 しかしながら、ここで返ってきたのは、次の言葉でした。

 「観光政策とか、そういうことではなく、 取り組んでいる “人”が生き生きしている地域はどこですか?」

 私はこの質問を受けたとき、正直言葉に詰まってしまいました。最新の情報、国内外の情報には意識的に触れてきましたし、仕事の中で各地域の気質の違いも感じ取ってきました。また、取り組む人の熱意は、話をうかがう中で感じてきました。しかし、“人”自体にそこまでじっくり目を向けてきたかというとそうではなかった気がします。先の出来事は、端的に言えば、「自分の眼でちゃんと人を見ていますか」と問われたということだと思います(この地域のあの取り組みのここが参考になる・ならないという次元でなく)。

“人”へのまなざし

 さて、この質問を受けたのがどこかと言うと、九州を代表する温泉地・由布院(大分県由布市)です。この地域の歴史を振り返ってみると、そこには、“人”に対する深い洞察が確認できます。ここでは、以下の2つを紹介したいと思います。これは、今から46年前に行われた北ヨーロッパ視察(1971年)の報告の中にある話です。

 一つ目は、観光地での住民の生き方について。

 「生活観光地」と題する文章の中で、マルケン・フォレンダム島(オランダ)を視察した時のことが書かれています。この島は、家、道、住民の服装は16世紀のオランダ風俗そのもので、建物保存や環境整備などは国が負担する他、市も細かく支援し、税金も免除。しかし報告では、「この町はなんとなく憂鬱であった。ここには生き生きしたものがない。何かが死んでしまっている。裏庭の、海に面した土堤の上に少年がひとり腰をかけていた。反抗的なその眼差しと、ヨレヨレのGI服が何故か新鮮にみえた。」(1)と述べられています。

 観光では、モノやカタチとして遺されているものに目が行ってしまいがちですが、住む”人“の姿、眼差しに目が向けられています。

 二つ目は、観光客の時間の使い方・過ごし方について。

 スイスでのキャンピング体験時に目の当たりにした人々の光景から、「キャンピングは日常生活の延長であって、決して一点豪華主義の観光の申し子ではない」こと、「日常生活の中に愉しみを造ってゆく観光に変わりつゝある」こと、そして、フランスの休暇に関するデータから「人がいかに人間関係を中心に愉しみを求めているか」(2)に気づき、次の言葉を残しています。

 「人間が美しい環境に生きることに、あるいは美しい人間関係を持つことに喜びを感じ、それを求めて旅に出るといった時代に、『旅館、あるいは観光業者を中心にした観光』という概念でその旅を処理しようとしたのは全くのナンセンス」(3)

 この言葉が、1970年代はじめ、且つ観光業に携わる宿屋のご主人たちにより発せられたものであるということは驚きです。人はなぜ旅をするか、どのような過ごし方を求めているかということへの深い洞察(力)を持つ人がこの地域には存在した。由布院がその後発展した要因の1つにこのことが挙げられるでしょう。

 最後に。「まちづくりと観光事業」というテーマで、これまではどちらかというとその違いは何かを意識してコラムを書いてきましたが、両者に共通する大事な視点について考えてみると、”人“の生き方や姿、その所作などから”人”が何を求めているか、感じているかをつぶさに見つめる、ということかなと思います。

 これは観光に限らない話だと思いますが、観光に取り組む地域では、様々な主体の連携が求められ、地域や観光に関わる様々な専門領域の統合・総合が模索されている現代だからこそ、その拡がりだけではなく、”中核に据える見方は何か“を強く意識していくことが重要と考えます。

(1)参考文献1) , p.30。本コラムでは、マルケン・フォレンダム島の話を持ち出していますが、雑誌では、同島を含む計4地域の視察結果が報告されています。詳細にご関心がある方は、そちらをご覧下さい。
(2)参考文献1) , p.32。キャンプ場では、夜キャンプファイヤを囲んで唄ったり、踊ったりということは全くなく、林の中や湖畔を静かに散歩する恋人たち幾組かに出会っただけであったと述べられています。
(3)参考文献1), p.33

参考文献

1) 志手康二、梅木薫平、中谷健太郎(1972):「北ヨーロッパの旅の報告書¬=1」『町造りの雑誌 花水樹 ‘72=1』明日の由布院を考える会、No.6、 昭和47年10月1日発行、pp.18-36
2) 中谷健太郎(1973):「旅と日本人」『教育と医学 21(1)』教育と医学の会編、昭和48年1月、pp.35-42