はじめに
今年(2023年)の桜は、例年に比べてずいぶん早い開花となりました。長いコロナ禍を経て、久しぶりのお花見を楽しむ人々のニュースも聞こえてきましたが、見事に年度末のバタバタと重なってしまった私が目にできたのは、街頭に照らされた近所の公園のソメイヨシノだけでした。特定の花に対して、“今年はこれしか見られなかったな”と少し寂しく思ってしまうのは、やはり桜が特別な存在だという証なのでしょう。
さてこの桜、シチュエーションによって魅力のポイントが異なるように思います。今回のコラムでは、旅先で感動する桜とは何かを切り口に、「全国観光資源台帳」の役割について考えてみます。
美しき日本プロジェクト
当財団では、1968年から全国の観光資源の客観的・総合的評価に関する研究(「観光資源研究」)に取り組んでいます。観光資源の魅力の基準を整理するとともに、その基準に沿って全国の観光資源を選定し、「全国観光資源台帳」として整理・更新してきました。この台帳は、観光計画策定時の基礎資料等として全国の観光地づくりの現場で活かしてきたほか、旅行意欲の喚起を目的として2冊の写真集も出版しています。
現在は、「美しき日本 全国観光資源台帳」と題したWEBサイトを立ち上げ、「全国観光資源台帳」に選定されている全国の観光資源に対して、その評価理由、すなわちその資源の魅力や魅力を十分感じるための鑑賞方法などを記事化し、順次公開しています(2023年5月1日現在20県公開中)。私はこの「美しき日本プロジェクト」事務局として全体を統括しつつ、担当県の現地調査や原稿執筆を進めています。
桜の現地調査
約1年前の2022年3月、私はとある県のとある桜を調査するために現地へ向かいました。その桜は、駅の南北を流れる川沿いの両岸約3kmにわたって1500本を超える桜並木が続いている場所で、そのエリアの代表的なお花見スポットとして紹介されています。
川べりに降りて桜の木を間近で見てみると、植樹からずいぶん年数が経過しているためか、年老いた木は樹勢が弱く、花付きが良いとは言い難い状況でした。「全国観光資源台帳」では、桜の評価基準として1000本以上という基準を設けています(https://www.tabi.jtb.or.jp/about/criteria/)。桜の本数はこの1000本という基準を満たしていましたが、桜の木自体が弱々しく、また距離が長いだけに桜の木の密集度がまばらで、本数の割には迫力が感じられませんでした。パッと見て「わぁ、すごい!」という言葉が出てくるような光景ではなかったのです。
この桜を観光的にどう評価すべきか、頭の中で他地域の桜と比較しながら、私は駅から北へ、次に南へ、再度北へと歩き続けました。考えながら1時間以上歩き続けた結果、“どこまで歩いても桜が続いていること”が、この桜の最大の魅力なのだと思い至りました。
観光客を感動させる桜、地元住民の憩いの場としての桜
川沿いを歩いていると、実に多くの人とすれ違いました。それは、小さな子ども連れの家族、犬の散歩をする老夫婦、若いカップル、ジョギングする人、自転車で駆け抜ける小学生グループなどなど。観光客というより地元の人たちが中心で、この季節ならではの桜を愛でながら、いつものように川沿いを散歩しているようでした。
自分が歩いて感じた印象、そして実際の利用の様子を踏まえて、この桜は地元の人にとってのお花見スポットという性格が強く、観光資源としての評価は高くない、という結論を出しました。
遠方から出かけてきた旅人が期待するのは、“感動の一撃”とも表現されるような強いインパクトだと思います。視界がピンクに覆われる桜のトンネル、菜の花の黄色と桜のピンクの美しいコントラスト、雄大な山をバックに力強く咲き誇る一本桜など、桜によってもいくつかのタイプがありますが、観光客を強く感動させる桜、つまり観光資源として評価の高い桜には、一目で印象に残る強いインパクトが欠かせないのではないでしょうか。
一方、今回取り上げた桜は、距離が長いこと自体が一番の魅力であり、よい散歩道、よいジョギングコースとして非常に魅力的な場所となっています。その魅力を十分に感じられるのは、十分な時間を持って対象に接することのできる地域住民の方、あるいは一週間以上長期間滞在するような旅行者でしょう。一般の観光客は、この桜を鑑賞するとしてもせいぜい半日~一日でしょう。であるならば、観光客が感動できる桜はもっと他にあると思います。この桜の良さを十分に味わうためには、時間をかけて、かつ、繰り返し接すること、つまり日常生活の一部とすることが必要です。こんな桜並木が家の近くにあったら、あるいはワーケーション先の近くにあったら、毎朝の散歩やジョギングコースとしても、仕事のアイディア出しのために思索を深める場としても、かけがえのない場所になりそうです。
おわりに
観光や旅のあり方は多様化しています。ワーケーションを取り入れつつ、観光地に長期滞在する人も確実に増えているでしょう。そうした変化を踏まえ、「全国観光資源台帳」における観光資源の定義や評価基準も変わるべきという意見もあるかもしれません。ですが私は、“定番のもの・普遍的なものを選定し続けること”が、「全国観光資源台帳」がその役割を果たすために欠かせないと考えています。どんなに観光や旅のあり方が多様化しても、定番の観光スタイルがなくなるわけではありませんし、ぶれない基本があるからこそ、その枠からはみ出すようなものを適切に捉え、効果的に検討することができると思うからです。
とっくに葉桜になってしまった桜の木に新年度の過ぎゆく早さを感じながら、プロジェクトを確実に進めなければと改めて思うのでした。