オーランドで見た米国観光産業 [コラムvol.94]

 私は、今、7ヶ月の予定で、米国フロリダ州オーランドの大学にて研究活動を行っている。このコラムが掲載される頃は、渡米から約3ヶ月が経ち、ほぼ、折り返し時期を迎えている頃である。

 さて、今回は、この米国滞在を通じて感じた米国観光産業の特徴を整理しつつ、日本の観光産業の今後について考えてみたい。

■「人工的」な米国観光

 WTOの資料(2007年現在)によれば、米国は世界3位のインバウンド客数を誇る観光国である。1位のフランスとの差は大きいものの、2位のスペインから4位の中国、5位のイタリアまでは団子状態で、2位グループを形成している。
 一方、日本は、近年、順位を上げているものの28位。人数にして米国の1/6~1/7にとどまっているのが実情だ。米国を含む上位国は、陸続きでつながっている国があるため、島国である我が国と単純に比較することはできないが、それでも「大きな差がある」事は事実である。
 その米国の観光だが、一言で言えば「人工的」なものが主体となっている。もちろん、グランドキャニオンやコロラドのスキーリゾートのように、雄大な自然が大きな魅力となっている観光リゾート地は少なくない。しかしながら、グランドキャニオンはラスベガスが観光の拠点となっているし、コロラドのスキーリゾートもベースタウンの魅力がリゾートとしての価値を高めている。歴史文化については、歴史が浅い国だからこそ、少しでも歴史的な要素が残っている地区はヒストリカル・エリアとして保全と露出の対象になっているが、(少なくても、ここオーランド周辺では)観光の対象地として一般的な存在ではない。食についても、誘客につながる米国的な伝統料理は乏しく、海外の食(日本食は米国で大人気)や、新規創作料理が主となっている。
 米国における、観光リゾートの魅力の源泉は、ホテルであり、テーマパークであり、レストランであり、そして、それらを内包するタウン、シティである。すなわち、地球や先人が構築したものではなく、今の人たち(ここ数十年の人たち)が、自分たちで魅力を創り上げ、観光を成立させているのが、ここ、米国観光の特徴と言って良いだろう。

■自身で魅力を創り上げる米国の観光産業

 これは、欧州の観光と比較すると非常に際立ってくる。欧州の観光魅力は、基本的にそれぞれの地域が培ってきた歴史、文化が主体となっているからだ。新しいものより古いものが前面に出てきていると言えるだろう。
 改めて考えてみれば、第2次世界大戦以降、新たなスポーツを創造したのは、バンジージャンプやラフティング(NZ)を除けば、スノーボード、スキューバダイビング、スカイダイビング、トライアスロンなど米国発の競技が多くを占める事に気づく。
 さらに、既存のサービスを複合させることで、新たな価値を創造していくことも多い。例えば、カリブ海を主体としたクルーズは、(運河を越えられないために)従来では考えられない排水量10万トンを超える船体に、ベッド数2,000以上のホテル、エンターテイメント、レストランを内包したクルーズ船が創造し、クルーズを移動手段からエンターテイメントの対象へと変化させてしまった。また、ラスベガスでは、従来のゲーミング(カジノ)にテーマホテルを組み合わせ、かつ、それらを一つの地区に集中立地させることで、従来のカジノとは全く異なる新しい産業が創造されている。その他、不動産業としてのタイムシェアは、以前から存在していたが、近年になってホテルチェーンがオペレーターに入ることで、爆発的に普及し、海外を含め多くのリゾート地に展開するに至っている。
 その究極の姿の1つといえるのが、私の居るオーランドにあるウォルトディズニーワールド(WDW)である。4つのテーマパーク、2つのウォーターパークに加え多数のホテル、タイムシェア、物販飲食施設、そして、それらを網羅する交通施設(モノレール、バス、船舶)を一体的に運用することで、巨大な都市が創出されている。
 1983年に、東京ディズニーランドが開業したときに、従来の「遊園地」という言葉では対応できずテーマパークという言葉が日本語化したが、現在のWDWは、そのテーマパークという概念すら超えた存在となっている。ディズニーの母体となるアナハイムのディズニーランドができたのは1955年。オーランドのWDWのマジックキングダムの開業は1971年であるから、アナハイムから数えて約半世紀の間に、すさまじい変化を起こしてきたことになる。
 このように、既存の素材を新しい概念で再定義し転換させたり、他の活動と融合させたり、または、全く新しい概念で新規創造するなどして、国内のみならず海外からも集客しうるような新しい魅力を生み出しているのが、米国の観光産業である。

■「経営」への意識の高さ

 このように、米国の観光産業は、自動車会社が市場変化に合わせて、新しい車を開発、市場に投入していくのと同様に、新しい観光サービスを創造し、提供する存在となっている。
 こうした「創造」において、右脳的なセンス、インスピレーションが重要な役割を果たしていることは否定しない。WDWにしても、ウォルトディズニーという偉大な思想家がいなければこの世には誕生しなかっただろう。
 しかしながら、それ以上に注目すべきことは、事業として成立させ、存続させていくための「経営力」ではないか。人が人にサービスすることで成立する観光産業は、製造業とは様々に異なる特徴、特性を有している。そうした特殊性を乗り越え、ビジネスモデルへと組み立てる能力には脱帽せざるを得ない。
 私が赴任している大学でも、学生に教えている内容の多くは、「経営学」である。ホテルへの就職を目指す学生も、テーマパークへの就職を目指す学生も、財務やマーケティング、組織管理といった経営の基本項目は、必ず習得しなければならない。戦略やリーダーシップといった内容も含まれており、経営者たる知見を習得した上で、各企業に就職していくのである。
 当然ながら、大学がこうしたカリキュラム構成をとっているのは、産業界が求める人材像が、そうした知見をもった人材となっているためである。そうした知見を有していなければ、例え、「おもてなし」能力に優れていたとしても、マネージャーとなることはない。米国の観光産業において、今日的な経営学は、必須のスキルとなっている。

■2つの軸が未成熟に混在する日本の観光産業

 こうした視点に立って、日本の観光産業を考えると興味深い点が見えてくる。米国と欧州の観光は異なるスタイルであることは前述したが、日本の観光は、それら2種のスタイルの狭間に陥ってしまっているのではないかということである。
 例えば、日本は欧州に比肩できるだけの歴史、文化を持っているし、風光明媚な景観、温泉など自然資源にも恵まれている。しかしながら、欧州のように、これらの歴史文化資源や自然資源とうまく調和し、それと共存するような取り組みであるかと言えば疑問は多い。風光明媚な景観を自ら破壊したり、歴史文化を否定したりするような開発が少なからず実施されてきた事は否定できないからだ。これは、いわゆる商業主義の結果と言える。
 では、米国のように、ビジネスとして「現在の人」が自立的に魅力、価値を創造しているのかといえば、それも、肯定は難しいだろう。歴史文化や自然資源によらず、自身が創造した価値で、集客をなしえている企業は多くないし、海外にも輸出できるような新しい余暇活動、ビジネスモデルにも乏しいからだ。バブル後の新しい観光産業モデルも、未だ、見えてはいない。

■日本の観光産業はどこに向かうべきなのか

 日本が有している歴史文化や自然の資源性を考えれば、欧州型の地域資源を前面に出した取り組みが早道のように感じられる。しかしながら、「地域」を対象とする場合、事は観光の範囲にとどまらず、地域開発、地域経営全般に広がることとなる。これはこれで解決策を考えなければならない重要な問題であることに違いないが、あまりに多くの変数が存在し、解決までの道のりは長大であることも事実である。
 これに対し、米国型の取り組みは、個々の企業単位で取り組みうる事項である。さらに、我が国は人口減少社会に突入するが、米国型は知識集約によって成功率を高められるものであることも好適であろう。そこに、元々持っている資源性を加えれば、競争力の高い魅力的な活動を創造していくことは、そう難しくないのではないだろうか。
 「経営力」を重視し、製造業がなしえたように、国際的に通用する観光産業を構築していくことが重要なのではないだろうか。