「観光による地域振興」を再考する [コラムvol.536]

観光立国への取り組み

我が国は、戦後、3回、国策として観光振興に取り組んできている。

1回目は、高度成長期、レジャーブームと呼ばれた時。2回目は、バブル経済期、リゾートブームと呼ばれた時。そして、現在の観光立国である。ただ、同じ観光でも過去2回と、現在では、大きく性格が異なっている。過去2回は、いずれも国内都市の住民で観光需要が急増し、その供給に対応するというものであったのに対し、現在の観光立国は、国外から需要を取り込んでこようというものだからだ。そのため、過去2回は、オイルショックやバブル崩壊によって、需要が減少すると共に自然消滅したが、現在は、国際的な人流が増大することで、約20年(観光立国推進基本法の成立が2006年12月)に渡って継続されている。

私が、公益財団法人日本交通公社(当時は財団法人)に転職したのは1998年。バブル崩壊の煽りを受け、観光市場は縮小の一途。観光やリゾートといった言葉は、バブル崩壊と紐づけられ、肯定的な意味合いで使うことは出来なかった時代だった。そうした時代を経験している身からすれば、現在の状況は、まさしく隔世の感がある。COVID-19によるパンデミックが発生し、世界中の人流が止まった時には、流石に覚悟するものがあったが、その後、タフに需要が回復するのを見て、観光は、人々にとってファンダメンタルな活動になっているのだということを感じている。細かい時間軸、または、地域断面で見れば、当然、振れ幅はあるが、全体としては、安定的な成長期に達していると言えるだろう。

観光立国に取り組み始めた当時は、まだ、東アジア、東南アジアの需要は顕在化しておらず、国内経済もまだ「バブルの余韻」を抱えており、かつ、人口縮小も数値上の問題であったことを考えれば、観光立国政策の立ち上げは、極めて先見性の高い判断であったと思う。

「こんな物価の高い国に、海外から人が来るわけない」などと議論していたのは、今となっては笑い話にすらならない。

実際に、訪日市場が拡大するのは、基本法の成立から約10年の時間が必要であったが、曲がりなりにも10年という時間の中で、様々な体制作りが進んだことが、世界的な需要増大の流れの中でも、我が国が相対的に高い成長を実現できた要因だろう。

観光政策の立ち位置の変化

ただ、観光立国政策から20年、訪日市場増大から10年という時間軸の中で、観光と日本、地域との関係は変質してきているのではないか。

当初の10年は、訪日市場を展望しつつも、実際には縮小する国内市場への対応が主体であった。毎年、当然のように客数が減少していく状況の中で、なんとか踏みとどまる方策を見つけ出し、実践していくことが求められたが、ここでの当事者の多くは、観光客数減の影響を直接受ける既存の観光事業者であり、観光地であった。特に団体客から個人客へ客層がシフトし、これを背景とした、様々なオルタナティブ・ツーリズム(国内ではニューツーリズムと呼称)への対応は、高い難易度を持っていたが、「対応できなければ、消滅する」という危機感も背景にあった。この時代、国などが、いかに「観光は将来性のある産業だ」と主張しても、ほとんどの人は相手にしていなかったが、背水の陣に置かれた関係者の一体感は高かったように思う。

その後、訪日客が目に見えて増え始めると、増田レポート(2014)をきっかけに始まった地方創生政策(2014〜)および、明日の日本を支える観光ビジョンの策定(2016)によって、観光の社会的位置づけは大きく変わっていく。政策レベルが、これまで、国交省の外局である観光庁から、内閣官房主導へと引き上げられたことで、名実ともに、観光は国家政策となった。さらに、国際観光旅客税(2019)が導入されたことで、訪日に関わる観光政策は、独立した財源を有する自立性の高い政策領域ともなった。こうした体制の中で、訪日客数は順調に増大し、政策としてのアウトカムを獲得してきた。パンデミック時に、GoToトラベルや、その後継となる全国旅行支援政策によって、国内需要の底支え出来たのも、こうした政策体制が構築できていたからだろう。

20年の積み上げの結果、我が国は国レベルで、観光について考え、政策実行できる体制を得たことは、誇って良いことだと思っている。

しかしながら、パンデミック後、揺り戻し的な動きが出てくることになる。オーバーツーリズムという言説が、日々、使われるようになったことが象徴的だが、これまで、観光振興を肯定的に捉えていた社会が、変化しつつあるように感じる。主観で言えば、この雰囲気は、バブル経済のピーク時の感覚に近い。

これには様々な原因があるだろうが、注目したいのは、同様のことが世界的に生じているということだ。当財団では、3年間にわたり海外視察を展開してきたが、反ツーリズム的な動きが出ている地域は少なくない。21世紀以降の国際旅客数の増大によって、日本同様に、国外からの観光客数が増大し、それが、様々な混乱を招いていることへの反動といえる。表面的には、グローバリズムとナショナリズムの関係にも似ているが、背景に、経済格差問題があることも大きい。地域において投資や消費が進むことで、不動産やサービス価格が上がり、元からの住民の生活が困難になる状況(ジェントリフィケーション)が起きている地域ほど、反発が大きいとも言える。実際、反ツーリズム的な動きが出ているのは、経済力の低い地域が多く、米国本土や欧州中央部では、客数が増えても、そうした反動は、ほとんど生じていない。

経済大国と言われた我が国が、「相対的に物価が安い旅行先」となった現実を突きつけられる事象は、気持ちの良いものではない。バブル経済期の、東京vs地方という構図が、世界vs日本という構図となっているのが実状であり、このフラストレーションは社会的に無視できないだろう。

さらに、観光立国の取り組みは、地方創生政策と密接な関係をもっているが、現実として、観光客が集まる地域は極めて限定されている。不動産価格やサービス価格の上昇どころか、廃墟となった建物や累積赤字を抱える公営施設など、負の遺産を抱えている地域は多い。

新たな環境への対応

こうした現実は、観光が解決できる社会課題は限定的であり、観光客数や消費額を増やせば解決レベルが上がるわけでもないことを示している。特に、ジェントリフィケーションの問題は、そもそも、観光消費による経済効果で、地域振興を行おうという基本戦略そのものに影響する現象である。

何事にも変化には、一定の痛みが伴うものではあるが、それが一時的な成長痛なのか、構造的な新たな抑圧なのか、我々は見極めていく必要がある。

DMOのMは、マーケティングとマネジメントのダブル・ミーニングとされてきたが、現在では、殆どの場合、マネジメントを指すようになっている。国際的に、観光客を呼び込むことよりも、観光という活動を地域の中で、どのように動かしていくのかが重要だというように認識が切り替わってきたことの証左であろう。

観光の可能性を信じつつ、国際的に視野を広げ、チャレンジを続けていきたい。