観光資源評価研究と地域との接点 [コラムvol.353]

はじめに

 当財団では、1968年から観光資源の評価に関する研究に取り組んでいます。観光資源の魅力の基準を整理するとともに、その基準に沿って全国津々浦々にある観光資源を選定して「全国観光資源台帳」としてとりまとめ、観光基本計画の策定や、旅行需要の喚起などに活用してきました。

 私自身は、4年前に当財団に入って以来、ずっとこの研究に携わってきました。

 今回は、現在の私自身の課題意識である観光資源評価研究と地域との接点について書いてみたいと思います。

観光資源とは

 本題に入る前に、当財団の観光活動と観光資源の考え方について改めて確認しておきます。

 当財団では、観光活動を、「見ることや、その場に身を置くこと、体験することにより、感性や知性を通して観光資源の「素晴らしさ」を感じることで、人生が豊かなものになり、人間的な成長を促される行為」と定義しています。

 最近では、経済効果の文脈で観光が語られることも多いですが、私たちはこのように観光を捉えています。

 その上で、「感動の源泉となり得るもの、人々を誘引する源泉となり得るもののうち、観光の対象と認識されているもの」を観光資源であると定義しています。

観光資源の評価の視点

 評価の視点は複数ありますが(※1)、観光資源評価では「住民とのつながりの深さ」を評価の視点の一つとしています。地域に愛されているもの、地域のアイデンティティになっているものが、観光資源としての評価が高いとしています。

 この「住民とのつながりの深さ」は、観光を取り巻く社会環境の変化、すなわち観光地における地域の歴史・風土への注目の高まりを受けて、2014年に新たに追加された評価の視点です。

 たとえば、「山岳」種別の場合、地方で名山とされている山、信仰の対象になっている山、唱歌の題材となるなど地域のシンボルとなっている山の評価が高いとしています。

観光資源化することに対する住民の本音

 このように、地域とのつながりが深い観光資源の魅力が高いという立場で評価を行ってきた私にとって、最近、世界遺産のある町に住む方から伺ったお話は衝撃的でした。

 観光と文化財をめぐってお話を伺っているなか、自分たちの生活の様子が観光資源とされることへのいたたまれなさや、自分たちが本当に大切にしてきた生活や精神までも広く公開しなければならないのかという戸惑い、観光客におもねったまちづくりへの嫌悪感を話してくださいました。

 このお話を聞いて、学生時代の苦い経験を思い出しました。バスツアーでイタリア旅行をした時、アマルフィという南イタリアの町を訪れた際の思い出です。

 その当時から人びとの日常の暮らしに興味があった私は、バスを降りると一目散に路地裏を目指しました。歩きながらパシャパシャと写真を撮っていた時、井戸端会議をしていた町の女性数人に声をかけられました。その女性たちはにこやかな表情で手招きをしながら、私に「おいで」と言っているようでした。私はその時ハッとしました。バスツアーの参加証バッジを付けたままで、人びとの日常生活の場に土足で踏みいってしまった自分に気づかされたのです。

 女性たちの表情からは、私を排除しようという態度は全く感じられず、むしろ好意的に受け入れてくれているようでしたが、結局私はあいまいな笑顔を浮かべるだけで、足早にそこを立ち去ってしまいました。

評価が及ぼす影響

 また、最近読んだ文化遺産に関する論考では、生活や文化の全体性のうち、ある部分を「財」や「遺産」として評価・価値化し、そこのみを公共的な価値のあるものとすることで、地元住民と文化遺産との間に距離が生じている、という事例が紹介されていました。

 特定の生活や文化を価値の高いものとして切り出し、その価値を守るための仕組みを新たに作り出すことが、かえって一部の住民からその文化遺産を遠ざけてしまい、保全・継承という観点から見た場合に不完全さをはらんでいるという指摘でした。

 観光資源の面白さの一つは、一つの資源が様々な顔を持っているという多面性にあると感じています。長崎の「さるく」に参加した際、教科書にも載っている有名な史跡を実際に訪れたことにももちろん感動したのですが、その場所がガイドの方の子ども時代の遊び場だったというお話も印象的でした。

観光資源の保全と活用の望ましいあり方 とは

 観光活動の対象が地域の生活文化に向けられると同時に、元々の生活文化が保たれなくなってしまったり、生活文化自体が地域の手から離れてしまったり、という状況が少なからず生じています。

 観光資源化を住民の側に立って考えると、地域の魅力に触れてもらう、あるいは、地域の魅力を資源として活かしていくためには、日常生活を侵害しないことを大前提として、一定の線引きが不可欠なのだろうと思います。

 また、たとえ、世界遺産として「顕著な普遍的価値」が認められている場合でも、観光資源としての面白さはそこに限定されるわけではなく、地域の中でのあり方全体に魅力があるのだと思います。観光においては、こうした魅力の全体像を伝えていくことが大切なのではないかと感じています。

 今後の観光資源研究では、未評価の観光資源の評価を進めていくことと同時に、観光資源の望ましい保全と活用のあり方についても、より一層考えていく必要があると感じています。それが、観光資源を評価した者としての責任だと思うからです。

※「観光資源の評価に関する研究」の詳細については、『観光文化』222号(特集 観光資源評価研究「美しき日本 旅の風光」)234号(観光研究レビュー1 観光資源の評価に関する研究 ~“特別地域観光資源”の魅力と評価について)のほか、当財団ホームページの「観光資源の評価に関する研究」をご覧ください。